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郵政民営化に関する有識者会議第3回会合 議事要旨

日時
平成16年6月16日(水)
10:30~12:33
場所
虎ノ門10森ビル(5階)
郵政民営化に関する有識者会議室

○中城審議官 それでは、定刻になりましたので第3回の郵政民営化に関する有識者会議を行いたいと思います。
 本日は皆様お忙しいところお集まりいただきまして、ありがとうございます。
 まず、議事に入る前に、これまで御多用で御欠席でございました北海道大学の宮脇教授が御出席でございますので、改めて御紹介させていきます。

○宮脇教授 宮脇でございます。よろしくお願いします。

○中城審議官 それでは、お手元に配付の議事次第に沿って議事に移らせていただきます。
 本日は前回会合にて御案内させていただきましたとおり、特殊法人民営化の先行事例に関するヒアリングということで、既にこちらにお越しいただいておりますJRの方からお話を伺いまして、後ほどNTTからもお話を伺うということでございます。
 それでは、今日はJR西日本の井手正敬相談役にお越しいただいております。井手相談役、本日はわざわざお越しいただきまして、ありがとうございました。
 それでは、井手相談役からお話をいただきます前に、私からプロフィールを簡単に御紹介させていただきます。
 井手相談役は昭和34年に当時の日本国有鉄道に御就職、総裁室秘書課に勤務されて以降、職員局の労働課課長補佐、仙台鉄道管理局総合部長、広報部次長、経理局調査役などを歴任されました。
 昭和50年代後半、国鉄改革を巡る国民的議論が盛んとなる中で、経営計画室計画主管、総裁室秘書課長、再建実施推進本部事務局長、総裁室長などの御要職にあって、国鉄の分割民営化に御尽力された後、昭和62年のJR各社の発足に当たって西日本旅客鉄道株式会社、JR西日本の副社長に御就任、平成4年には社長、平成9年には会長になられ、民営化後のJR西日本の経営改革を進められたということでございます。
 これより井手相談役より30分程度お話をいただき、その後、同程度の質疑応答の時間を設けさせていただきたいと存じます。
 本会議におきましては、会議終了後にこの概要につきまして、記者レクを行い、更に議事要旨というものを後ほどとりまとめて公表する取り扱いとしておりますので、お含み置きいただきたいと思います。
 それでは、井手相談役、よろしくお願いいたします。

○井手相談役 ただいま過分な御紹介をいただきました井手でございます。
 皆様のお役に立つかどうか存じませんけれども、国鉄改革に携わりました人間として、経緯をお話し申し上げたいと思いますので、よろしくお願いいたします。座ってお話させていただきます。
 今日は約30分ほど私の方から話ということで、私の前半の方の話の中では、なぜ国鉄改革が必要だったかということを簡単に御紹介しながら、臨調あるいは国鉄再建監理委員会から答申が示された後の国鉄がどういう格好で改革の準備をしたかということを概略申し上げ、後半のお時間では、御質問が出れば、個々の件名でどういうところに問題があったかということについてお答えしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 まず、なぜ国鉄改革が必要だったかということについては、2つの側面がございます。1つは、財政的な事情でございます。国鉄は、昭和39年以前においても赤字になった年はございますけれども、その翌年には運賃改定をお願いするという形で、3、4年に1回運賃改定を繰り返すことにより大体収支は合っておりました。しかし、新幹線ができました昭和39年に赤字に転落いたしましてから以降、運賃改定や、あるいは場合によっては国鉄の一部の債務につきましての利子補給や、更には利子を払うための借金の、その利子を貸していただくという財政助成までもいただきましたけれども、昭和39年以来、ずっと赤字を継続いたしました。
 その結果が<参考資料1>の通りです。昭和50年我が国で初めて赤字国債を発行いたしました年に、政府が示された国家財政の問題点が、いわゆる3Kの赤字でございました。その3Kの赤字の総額は1兆7,481 億円で、その半分以上が私たち国鉄の純損失であったわけであります。また、その1兆7,481 億円は、国の赤字の大体33%を占めておりました。そして、これを何とかしなければいけないということで、それから6年間夫々努力されました結果は全体として大幅に改善されました。しかし、国鉄も努力はいたしましたが、結局赤字は6年前より1,712 億円も拡大いたしまして、昭和56年には1兆円を超す赤字を計上するような状況になったわけです。食管の赤字は、相当御努力いただいて、昭和56年には4,883 億円ということで3,139 億円減りましたし、健保に至りましては769 億円の黒字を計上するという格好で、3Kトータルの赤字額も減チたわけでございます。もっとも、それでも1兆4,973 億円の赤字が生じており、それは国全体の赤字の中の11%ということでございました。そのことは、この間で3K以外の赤字が物すごく増えたということをも示しております。
 一方、何故の国鉄改革かということのもう一つの側面は、労使の関係でございます。昭和40年代初期頃までにはかなり合理化等が進んだわけでありますけれども、マル生以降国鉄の労使関係は大変悪化いたしまして、組合が当局に勝ったということから、殆ど合理化に乗ってこないということで、国鉄の経営改善がままならないという状態でありました。更に総評系と同盟系との間で非常に争いがございまして、あのころの新聞をごらんいただきますとお分かりいただけますが、年がら年中ほぼ毎日のように現場で不祥事がございました。中には青梅線で機関士と機関助手が組合の所属が違うことを巡って、駅の中間のところで列車を止めまして、殴り合いをしたという非常にお恥ずかしい事件もありました。すなわち結果的に財政事情も悪うございましたけれども、その足を引っ張ったのが国鉄の労使・労労の関係であったというわけです。
 国の財政事情は今ほど申しましたような格好でございますけれども、特に、御承知のとおり第1次のオイルショック後、急速に悪化いたしまして、昭和56年には今申しましたように、3Kの赤字は少しは減りましたけれども、そのウェイトが従来は3分の1であったものが10分の1の規模になったということは、ほかの赤字がいかに増えたかということですけど、結果としてこの年に、増税なき構造改革はすべきだということで第二次臨調が発足したということは御承知のとおりだと思います。
 こういう状況に対しまして、国鉄はどうしていたかということでございますが、昭和54年から55年にかけて、第4次までの国鉄再建計画をつくったわけでありますけれども、そのことごとくが画餅に帰し、結局その計画を破棄いたしまして、要するに第5次の再建計画をつくりなさいよという御指示が国よりございまして、昭和55年度の1年かけまして、計画をつくったわけであります。その内容は<参考資料2>の通りでございます。1つは、昭和60年には35万人体制にするということでした。そして2つ目には、かつて国鉄も「なぜ赤字が出ているのか、どこに問題があるのか」ということを常々検討いたしておりまして、大きな問題点として、いわゆる地方交通線問題、もう一つは、年金問題ということを言っておりましたけれども、その問題を明らかにし、それを国鉄自身だけの処理をするという従来の計画とは違う考え方にいたしました。今までの計画は、言葉を変えて言いますと、いわゆるどんぶり勘定で、えんぴつをなめて収入を水増し、経費についてはできもしないようなカットをするということで収支を合わせていたのですが、今回の計画では、地交線・年金といったボックスを決めまして、この表のような夫々の目標を決めたわけです。そしてもう一点は、ローリングプランということで、この計画の達成のために、この計画を常に見直して、これに近づけるという努力をするということがありました。つまり、国鉄としての初めての自ら努力するものはする、できないものは国にお願いするといった再建計画をつくったわけであります。
 この計画に対しまして、昭和56年2月に当時の自民党にこの計画についての御了解を求めに行きましたときの、当時の鈴木総務会長からの御指示は「これでよろしい。ただし、達成できなければ国鉄は民営化するよ」ということでありました。つまり、自民党はその段階でこの計画を認め、いわゆるこの計画ができなかったから国鉄は民営化するということであったわけでありまして、言葉を変えますと、自民党は出口論ということをここで明らかにされたということです。
 一方、第二次臨調はどうかということでございますが、この計画は昭和56年5月1日に政府から認可を頂戴するわけでございますけれども、それから2週間くらい後に第二次臨調からもこの計画につきまして評価をいただいております。それはこの計画の完全な実施を確実に一日も早く達成してくれということで、この計画をお認めいただいたわけでありました。その際に、この計画が達成するまでは職員の新規採用は認めないとか、そのほかかつて悪評さくさくでございました国鉄職員が全線パスを持っているようなものはやめなさいといったようなことの附帯条件が付いておりましたけれども、この計画の完全な実施を是非お願いしますということが第二次臨調の御指示でございましたから、当時まだこの段階では国鉄を民営分割するという議論にはなっていなかったということでございます。
 さて、<参考資料2>「後のない計画」の内容はと言いますと、表中に「幹線損益」と書いてございますが、すなわち1日の輸送密度が8,000 人以上の線区については、昭和56年度は3,200 億円の赤字ェ出ているけれども、昭和60年度には100 億円の黒字を出します。それから「地方交通線、地方バス」すなわち1日の輸送密度が8,000 人未満の線区につきましては、現在2,800 億円の赤字が出ているけれども、昭和60年には2,300 億円ほどに減らしますということでございます。次に「特定人件費」についてご説明しましょう。御承知のとおり、戦地に派遣しておりました国鉄職員を戦後全部引き取り、あるいは満鉄、朝鮮鉄道の職員も引き取ったということから一時国鉄職員は63万人おりましたが、それを定員法によって、まず54万人にしたわけでありますが、そういう国策によって過度な要員を持ったということから、結果増えたその方々の年金や退職金の負担といった人件費を「特定人件費」として整理したわけです。そして、その分については、しばらくの間政府から面倒を見ていただきたいということで特定人件費と言っているわけであります。ただし、それも昭和56年以降の大合理化により、昭和60年には結果的に当初計画より大幅に増えてしまったわけです。
 そのようなわけで、国鉄全体の収支といたしましては、昭和56年度は1兆300億円の赤字であったけれども、昭和60年度は9,900 億円に抑えますということでございましたが、いずれにいたしましても、それにしても財政たれ流しの格好でございます。
 ただ、昭和60年の実績を見ていただきますと、私たちが一番の目標にいたしました幹線損益につきましては、3,400 億円の黒字を計上したわけです。先程申しましたが、鈴木善幸さんから「この計画が達成できなかったから民営化だよ」と言われたわけでありますから、「後のない計画」と書いてあるわけでございますけれども、その計画につきましては、少なくともメインのところは達成できたという意味では、当時の自民党さんの出口論で言えば国鉄は民営分割しなくてもよかった状況であったんだろう、と私は思っております。しかし、この中に地方交通線なり特定人件費という形の中でいろいろとございますけれども、約6,000億円の政府の補助が入っております。政府の補助が6,000 億円入っていながら、全体の収支では1兆4,000億円余りの赤字が出ているということは、この計画は、もともと大変問題をはらんでいるところでございます。
 この国鉄がつくりました案でございますけれども、非常におかしな話でありますけれども、この計画をつくるに当たりましては、十分当時労政を担当いたしておりました職員局とも相談したわけでございますけれども、この計画に対しまして、組合の方は全く反応いたしませんでした。逆にますます職員のモラルは悪化いたしまして、新聞紙上に毎日毎日その日の不祥事が報道されるという状況でございました。私どもこれをつくった人間といたしましては、是非、この計画を達成して、自民党さんのおっしゃる出口論にしたいということからやろう。そのためには組合をこっちに向かそうじゃないかということで、まずモラルの立て直しをしようということで努力をいたしたわけでございます。しかし、やってもやってもこれができません。よく考えてみますと、ここに書いてございますけれども、昭和50年には43万人、昭和56年には40万人おりました職員を35万人にする、すなわち約8万人を合理化するわけで、8万人と言いますと、当時の日本の代表的企業であった新日鐵さん1社つぶすくらいの職員をリストラするということですが、それを実行してもなお6,000 億円もの助成金を頂戴しながら年間1兆円を超すような赤字を出すということでした。しかも、その累積赤字は昭和61年度末には約24兆円と想定されたわけでございますけれども、この24兆円の借金の解決方法については、一つも触れておりませんでした。
 結局言葉を変えますと、組合員にしてみると「努力をしても、努力をしても、結果的には赤字を招来して借金が増えていく。その借金解消の方途もない。」ということで、結局先の見通しの全くない計画ということでありますから、組合としても協力し得ないということであったのではないかと思います。そこで、もっともっとこれは思い切って変えなきゃいけないのではないかということが昭和56年度の後半から私どもその計画をつくった人間の方から思い始め、結果我々が国鉄改革を本当に思い切って政府のおっしゃるような民営分割の方向に行かなくちゃいけないんじゃないかと思い始めたのは、大体昭和56年の暮れから昭和57年にかけてであります。
 他方で、当時の臨調・政府・世論はどういうことだったかと申しますと、最初の政府の方針は、先程申しましたように、昭和56年に第二次臨調ができるわけでありますけれども、当初の掛け声は「行財政改革」を進めるということでございました。それが昭和56年の夏ごろになりますと、そこから"財"が落ちまして「行政改革」ということになりまして、更にそれが10月ごろになりますと、行政改革の中でもとりわけ「国鉄改革」ということで第二次臨調のメインは「国鉄改革」に移っていくということで、政府の御方針についても第二次臨調をおつくりになった時点での目標が増税なき行財政改革であったはずのものが、この段階では完全に国鉄改革ということで看板が書き変わったということでございます。
 当時屋山太郎さんが、国鉄国賊論というのを『文藝春秋』にお書きになりました。いよいよ国鉄改革ということが国の行革のメインになり、その目的は、1つは国鉄の財政立て直しで、もう1つは国鉄労政の立て直しということでございました。そのためには、かつての電力業界の9分割にならう以外にないじゃないかという声が出て、昭和56年の後半から民営分割論が盛んになったわけでございます。
 昭和57年7月に臨時行政調査会の第3次答申が出されました。これは<参考資料3>にございますけれども、国鉄が持つ問題点として、国の過大な関与、国鉄の輸送構造の変化への対応の遅れ、国民の過大な期待、巨大な規模、企業意識と責任感の喪失、不安定な労使関係、膨大な人件費、年金・退職金、支払利子といったことがあると言われたわけでございます。これは裏を返してみますと、公社制度が持つ欠陥を指摘されたわけであります。公社という制度の持つ限界点が、この臨時行政調査会の第3次答申の中で明らかにされたわけであります。
 更に昭和60年7月になりますと、国鉄再建監理委員会から最終的な問題が示されました。公社制度にはこういう問題がある、つまりそれには外部からの干渉、経営の自主性の喪失、不正常な労使関係、事業範囲の制約等々であると言われました。そして、全国一元組織の問題点といたしまして、監理限界を超えた組織、画一的な運営、不合理な事業部門間・地域間の依存、競争意識の欠如ということが挙げられました。その結果といたしまして、旅客会社6社と貨物会社1社に分割し、要員規模を21万人にしなさいという結論が示されたわけでございます。そしてその上で、国鉄の抱える37兆円に及ぶ債務についての処理方についてのご方針をいただいたわけであります。これは先程私の申しました24兆円との差はございますけれども、これは当時できました青函トンネルとか、本四架橋みたいなものも、それまでは公団の方の借金となっておりましたけれども、それも国鉄の借金ということで計算し直すとか、あるいは年金の負担等につきましては、今後出てくる年金の負担増につきましても、借金という形で見直すということ等でもって37兆円という額になったものでございます。そして、この監理委員会からのご指示は、そのうちのJR負担といたしまして、14兆円持ちなさいという内容を含んだ形のもので、これが最終答申として出たわけでございます。
 国鉄長期債務については<参考資料4>をもとに詳しく触れさせていただきますと、処理すべき長期債務としては、赤字の借入が15.9兆円、設備投資が9.5兆円、その他、鉄道建設公団債務、年金負担等を入れまして、37兆円あったわけでございます。それをどういうことで処理することにしたかと申しますと、各新事業体の負担ということで14.5兆、清算事業団の方で処理するものとして22.7兆円ということでございました。そして、清算事業団に残しました借金についてどういう始末をするかと申しますと、昭和60年1月の評価でありますけれども、土地の売却で7.7兆円、株式等の売却、これは本州3社の株の売却と地下鉄の株でありますけれども、どっちも簿価と言いますか、私たちの会社の株の券面の価格は1株5万円でございますけれども、それは5万円でしか売れないという前提で1.2 兆円、そしてその余のものは国が将来負担するということがございました。その後バブルがございましたので、一時土地の値段は計画時の倍に近い約16兆円と言われておりましたし、現在、当社の株価は本州3社の中でも一番安いわけでありますけれども、それでも42万円いたしておりますから、5万円で売るものが42万円になるという計算になりますから、1.2 兆もこの10倍くらいになっているんじゃないかと私は思っております。したがいまして、債務につきましては、いろいろございますけれども、もし政府が積極的に実勢に合わせて処理されておられたら、殆どのものは処理されたものと考えられます。
 さて、国鉄内部はどうなったかと言いますと、先程申しました、自民党から言われた出口論ということに非常に固執いたしまして、結果的には内部でごたごたいたしまして、一部私たちのような若手の方がこの際思い切って抜本的に問題解決をすべきだというのに対して、全くそうした意見に耳を貸さず、あまつさえ、人事異動等により口を封じ、当時の経営のトップの方は、このまま昭和65年まで、事柄を先送りさせてくれということで、昭和60年1月に経営改革の基本方策というのを提示いたしました。これは言い換えれば5年間の先送り案でして、民営化も認めないし、分割もしないということでございました。変なのは、例えば民営的な手法を用いるけれども、組合にはスト権は認めないというような非常に中途半端なものでもございました。
 そんなことがございましたけれども、最終的には昭和60年6月に総裁の更迭ということがございました。それから一気に国鉄に民営分割を進めるということに方針が変わったわけでございます。その後のことについては後ほど述べさせていただきます。
 今日、国鉄改革というものを経まして18年経ちましたけれども、一体国鉄改革とは何だったかということを考えますと、狭義では、監理委員会が標榜いたしましたように、自立経営の確立によります鉄道の再生ということであったと思いますけれども、広義で考えますと、1つは規制緩和であり、2つは、自己責任の原則を貫くということであり、3番目は地方主権であるということ。4番目が、市場原理に基づくということであったんじゃないかと思います。それは今日お国が求めておられます構造改革と全く同じことを国鉄改革は結果的には成し得たんだということだろうと思っております。その結果、営業収益につきましては、平成3年度は<参考資料5>に書いてございますように、連結でございますが、1兆785 億円であったものが、今日平成15年度には1兆2,157 億円ということで実に12%増えているわけでございます。
 <参考資料6>は、「輸送人キロから見た労働生産性の変化」でございますけれども、 62年当時を100 といたしますと、現在、労働生産性は170 に上がっているということでございます。昭和62年の100という数字自体、当時35万人いた職員を21万人にいたしましたから、国鉄時代からいたしますと大幅に生産性が上がった状態の数字であります。つまり、民営化してからなおかつこういうことになったということは、民営化することによって、先程申しましたように、規制緩和ができるとか、自己責任の原則とか、地方集権とか市場原理にのっとるということも踏まえながら経営いたしますれば、更に生産性が向上することができたのだという証左ではないかと思っております。
 さて、この改革が成功であったかどうかは後世の歴史が判断することではありますが、こうした殆ど不可能と思われた改革を実行しえた原動力は何だったかと申しますと、1つは私は世論だったと思います。昭和60年11月に私ども世論調査をいたしました結果、民営、分割、あるいは民営・分割両方というのを含めまして、今のままの国鉄ではない方がいいということを国民は73.5%の方が賛成されました。勿論、これにはお国や財界のいろんな御努力があって、特に土光さんがご不自由なお体で車椅子に乗られて全国行脚をされ「なぜこうしなければいけないのか、こうしなかったら日本の国はだめになるんだ」ということを大々的にPRしたということなどが背景にあったと存じますけれども、いずれにいたしましても国民世論の73.5%は民営・分割賛成だったというわけでございます。
 次に、政治のリーダーシップというか、中曽根さんのリーダーシップによりまして、多分、あれは昭和61年の夏にありました、総選挙で自民党が国鉄改革を前面に出して争われ、300 を超える議席を獲得するという大勝利を収められたわけでありますけれども、中曽根さんのリーダーシップがあったということがあります。
 第3番目は、部内の改革者の存在であります。先程申しましたように、昭和60年1月までは、国鉄の中から立ち上がる芽はことごとく摘まれ、何とか国鉄のままで、先送りしようという議論が主でありましたけれども、6月に総裁が更迭された以降、国鉄は一気に変わるわけであります。しかし、むしろそれ以前から部内に改革者が存在したということが大きかった。そのことによって国鉄内部に持っておりますいろんな問題点があぶり出されたということがあったのではないかと思います。国鉄改革が実質上成功と言いますか、少なくとも今日までうまく行ったことの大きな原動力のうち一番大事なのは「部内の改革者の存在」であったと思います。
 しかし、ここまで私は国鉄がなぜ悪くなったかということについて物理的あるいは定量的に申しましたけれども、どうも、今日考えますと、国鉄が悪くなったのは、労使ともども甘えとか思い上がりがあったからではないかと思うわけです。特に昭和39年以降赤字が出て以来、私たちは日本国有鉄道法第1条にある「公共の福祉の増進に寄与する」という言葉に甘えまして、少々赤字であっても、国鉄は公共の福祉の増進に寄与しているんだから、我々は赤字であってもしようがない。それはお国が保護すべきだということを盛んに言っておりました。組合の方もそういうことで甘えたわけであります。
 考えてみますと、大手の私鉄さんは当然優れた経営をされており、そうした懸念があるはずはございません。中小の私鉄さんは大変苦しい経営状況の中におられるわけでございますけれども、そうした私鉄さんも一カ懸命頑張って努力されている。しからば大手も含めて中小私鉄さんに公共性はないかというと国鉄と全く同様の公共性はあるわけであります。そういった意味では、我々は公共性という呪文を唱えて、自分たちが悪くなったことを先に送ったのではないかと私は思えてなりません。
 昨今、郵政の問題につきましても、ナショナル・ミニマムとか、ユニバーサル・サービスという議論があります。一方で、クロネコヤマトの宅急便とか、あるいはその他の民間のサービスがございますけれども、その方々もそういった意味では夫々ユニバーサルサービスを担っておられ、ナショナルミニマムを守っておられるのではないかということを考えますと、国鉄が甘えたのと同じような意味ではないと思いますけれども、郵政公社にとってそういうナショナル・ミニマムとかユニバーサル・サービスが私たちが唱えた呪文と同じようでなければ幸せだなと思うところでございます。
 国鉄はかくて昭和60年6月に総裁の更迭がございましたけれども、その後の体制を申しますと、役員の顔ぶれは大幅に入れ替わりましたが、役員の数は変わりございませんでした。しかし直ちに昭和60年7月4日に、国鉄再建実施推進本部というのを発足させました。それは総裁の直轄でございました。私は昭和60年6月25日に発令を受けたわけでありますけれども、国鉄再建実施推進本部事務局長という形で拝命を受けました。国鉄にはかつて経営計画室というのがございまして、この種の問題は本来そこが直轄するべきものでございましたようですけれども、かつて国鉄内部がガタガタしたことがあり、経営計画室がその余波を受けたということがあって、そこに任せるのは大変なことだということで、総裁直轄の国鉄再建実施推進本部というのが設けられたわけです。その本部が何をするかということにつきましては、デイリーの仕事は一切抜きにした国鉄再建実施というだけでありまして、その具体的な方策については全て任されていたわけでございます。直ちに部内外の優秀メンバーを集めまして、どういう点が分割民営化に当たって問題になるだろうかということを洗い出し、それに基づいてグループ分けしました。その結果、22のプロジェクトチームができました。
 どういうチームができたかというのは<参考資料7>の通りでございますが、技術開発・研究所とか、関連事業、資材、用地、建設、施設、旅客、貨物、自動車、財務・会計、資産・債務処理といったようなことで、全部で、今申しました通り22のチームがありました。本部長には総裁があたり、副本部長は副総裁でございます。本部員は本社内の各常務と、本社内の各長と、審議役の正規構成員ということで、そのほか経営計画室の計画主幹とか、主任部員の計50名で兼務として各局主要課長、課長補佐がその下働きの任に当たったわけでございます。
 この中に入っておりませんのは、人事は完全に総裁の専管事項ということで、これは別個にいたしました。そのほか、ここには書いておりませんけれども、弘済会とか交通協力会とか、国鉄に関係する法人の処理というのがございましたけれども、これは別途に国鉄再建実施推進本部事務局長でありました私のところに一任されたわけであります。
 昭和60年6月1日に余剰人員対策推進本部というのができたとここに出ておりますけれども、これはまだ問題を先延ばしをし国鉄として延命を図ろうとしていた段階で作成されたチームでありまして、これは当時42万人おりました職員を35万人にしなければいけないというのがございましたから、そのために余剰人員が出るので、その処理のために作られたものでございましたけれども、これを換骨奪胎いたしまして、昭和60年8月7日だったと思いますけれども、政府が国鉄余剰人員雇用対策本部を設置した日に、国鉄としては余剰人員対策推進本部の下に雇用対策室というものと職業訓練室というのを設置いたしまして、再スタートしておるわけであります。この二つの本部が両々相まって民営分割を遺漏なく進めようということでございました。
 そのほかやったことといたしましては、これは真藤さんがNTTでやられたことでありますけれども、広報体制を強化すべきだということで、広報の陣容を5割くらい強化いたしました。同時に、その広報部におきまして、CIというものを推進させたことがございました。
 先程申しました人事、特に新体制移行後つまりJR各社の高級人事につきましては、総裁室長に任されておりまして、私の記憶では私の手で約25次くらいの案をつくって、最終的に第23次案くらいでもって当時の橋本運輸大臣と総裁と御相談したことがございます。最終的には25次案までつくったという記憶がございますが、少しずつ夫々の次案のうちの一部を実施に移したこともあり、膨大な人事の案件をつくっておったということでございます。
 当時運輸省におかれましては、約160 本の法案処理というアとが当然要請されておりまして、これを1年間ですべてつくり、同時に、昭和61年11月28日の国会で通過させるという大変な離れ業を演じていただきました。私たちは運輸省に本当に感謝申し上げているところでございます。 運輸省の方で何をなさったかというのは、当時の資料を見ますと、7月26日、国鉄再建監理委員会意見が中曾根総理大臣に出された後、直ちに国鉄改革に関する関係閣僚会議を発足されておりまして、7月31日に運輸省の中に国鉄改革推進本部ができ、8月7日の日が私たちと同じように、国鉄余剰人員雇用対策本部というのが設置されたということでございます。そういう経過を経まして、今日のJRが存在しているということでございます。
 先程申しました、国鉄再建実施推進本部の動きでございますけれども、部内の協力も得られるようになり、順調に作業は進みましたが、その間、運輸省ともども大変苦労いたしました問題が幾つかございました。ご承知の通り、当時まだまだ組合が強く、言葉を変えますと、社会党が強かったわけです。社会党・共産党は、国鉄の分割民営化には絶対反対でございましたから、そもそも国会が未承認というこであり、民営・分割の議論ということは、国会を通るという前提でありますから、そのことを公に議論をやること自身が不謹慎だということでした。つまり、国鉄改革にあたってどういう制度をつくるとかあるいはどういう組織にするかということをオープンで議論することは一切ご法度、もしそれが表に出たら社・共両党は全部の法案に反対するということになっておりました。従って当時の政府のご指示としては「一切これは表に出してはいけない。水面下でやれ」ということでございました。特に国対の委員長だった藤波孝生先生から大分しかられました。当時運輸省の林淳司とご一緒に国鉄改革の意義や、改革後のあるべき組織などについてのPRのパンフレットを作成したわけでありますが、昭和61年の9月か10月だったと思いますけれども、先生に呼ばれてしかられ、こんなものをこの時期に出す気持がわからない、このままだと法案は通らないとおしかりを受けたこともございました。その結果として、全ての事柄が水面下で議論されたものですから、ある意味での大衆討議というか、オープンに議論できなかったために、今日になりましてからも、まだまだいろんな意味で手直しをしないといけないという事情が起きているのでございます。郵政の民営化につきましては、是非期待しているわけでありますから、これはできるだけ私どもの経験から考えますと、オープンに議論されて、後々悔いを残さないようにされんことを祈っております。
 最後に申し上げますが、国鉄改革につきましては、最初から成功のシナリオは全くございませんでした。ただわかっておりましたのは、あの国鉄のままではだめになってしまう。国民の足がなくなってしまうということだけがわかっていたということでございます。
 民営化につきましては、いろんな意見がございますけれども、これは今よりはよくなるということを当事者が信じて努力する以外にないわけであります。もし、最初から成功することがわかっていたら、とっくのとうに民営化をなさっていたはずだと思います。今回民営化なさろうとするからには、それなりに問題点があったというわけでありますから、いろんな障害を、当然起きるものと判断すれば、必ずや私は乗り越えることはできると思いますので、是非皆様方の御尽力によって、郵政の民営化が滞りなく行われ、我々国民が等しく、要するにいいところだけを享受したいと思っているところでございます。
 約30分ほどということでございますので、大筋の話を申し上げて、細かい話につきましては、御質問を受けてお答えしたいと思いますので、よろしくお願いします。

○中城審議官 井手相談役、大変ありがとうございました。それでは、今のお話に関しまして、御質問、御意見がありましたら、どうぞお願いいたします。

○奥山会長 どうもありがとうございました。お話の中で若干触れてなかったような気もしたんで、あえてお尋ねさせていただきたいんですけれども、分割で5つにこの案ではなっていて、特に西の方の分割のときに、採算も含めながらいろいろお考えになったと思うんですけれども、どんなような形で分割が決まっていったのか、そこら辺の苦労をお聞かせいただければと思います。

○井手相談役 分割民営化により、旅客会社6社と貨物会社1社に分割することで7つの会社ができました。そのほかに例えば通信系統を情報システム会社をつくったり技術研究所を独立させたりはしましたが、全体の鉄道とすると、旅客会社6つと貨物会社1つに分割したわけです。
 私は監理委員会のメンバーではございませんから、どうして6つにしたかということについては、正確にはわかりませんけれども、まず貨物会社については、もともとも貨物運送というのは、トータルとして広域的にやらないと効率が発揮できませんので、客貨分離ということは余り議論の余地なく、また私たち国鉄時代に検討した段階でも客貨分離はあるべしという議論はあったくらいでありますから、この問題については、最初から決まっていたように私は認識しております。ただ、もともと鉄道業というのは地場の労働条件に近づけるということも大事だったのですが、当時国鉄でありましたから、中央集権でやっていましたため、北海道の釧路であっても、東京で働いても給料は一緒というところに問題がありました。従って、今となっては私たちの会社とJR東日本では賃金体系・賃金レベルは違いますし、私の会社の隣のJR九州は私たちよりも低い賃金のベースになっています。しかし、いまだに貨物の場合は労働条件については中央の労働条件と北海道も九州もほぼ近いわけです。そういった意味では、先程申し上げましたとおり、もうちょっとあの段階で大衆討議がかけられれば、もっと違う格好で貨物もできたんじゃないだろうかとう気がいたします。
 次は6分割の方でございます。私たちは当時密かに勉強しておりまして、監理委員会に申し上げたことは、お客様の流動というものを見ますと、東京から北海道、あるいは九州へとお客様が往来されているということになるのでしょうけれども、その流動をマスで見ますと、どこかに段差があるわけでございます。したがって、分割をしようと思ったら、当時の管理局単位、当時は27ほどございましたけれども、27に分けても、ほぼお客様のマスとしての大きな流れはそこでクローズされるわけです。例えば新幹線について、お客様は東京から博多へ大きく流れてるようでございますけれども、そのうち東京から大阪を抜けて、私たちの山陽新幹線に行かれるお客様は全体の2割程度です。途中大阪とか京都でお乗りになって、大阪から先に行かれる方々もおられますから、数は増えますけれども、お客様の流れから見ると、東京~大阪に大きなかたまりがあり、そうしたことはどの線区にも見られる現象でございまして、多分私たちが提出いたしましたものを、委員会は、一番合理的にお考えになって6分割されたのだと思います。ただ主として3島は3島で切り離すということでしたから、本州についてどうするかということが多分御議論になったと思います。結果的に見ますと、東北・上越新幹線グループと、東海道新幹線グループと、山陽新幹線グループに分けたという意味では、新幹線を中心として、お分けになったのではないかと思われます。それは今、先生がご指摘になった、収支の問題があったんだろうというお話でございましたが、新幹線が当時の儲け頭でありましたから、それを中心にさせないと、会社の経営はなっていかないんだろうということがあって、多分、東北・上越グループと東海道新幹線グループと山陽新幹線グループに分けた分割をしたんじゃないだろうかと私自身も密かに思っております。しかし、細部についてどういう決定がなされたか、全く私は存じ上げませんので、私の観測だけ申し上げました。
 ただ、収支につきましてですが、分割により、確かに大きなアンバランスが生じました。そこで、そのアンバランスをどう補正するかということで、今回の道路公団改革でも同じでありますけれども、新幹線保有機構というのを設けまして、そこに先程の<参考資料4>の表の通り、この借金の中で保有機構が大体全体として8兆円余りの借金を持っておりますけれども、この借金を、リース料という格好で、本州3社に収益に応じ配分したわけです。例えば東海道新幹線は非常に儲かっているということで、高い暖簾代みたいなものを付加しまして、高いリース料にし、東北・上越はできたてだから債務取扱諸費等のコストが高くなっていることから、当面安いリース料にしました。山陽新幹線は余り儲っていないから、これも比較的安いリース料にするということにしました。要するに、リース料という形の中で事実上の収益調整をしたわけです。そういった意味では、スタート当初、東海会社さんにかなりのウェートがかかっているということでございました。もっとも、そのリース料は、2年ごとに見直すことになっておったわけでありますけれど、JR発足2年目に、いつまでも2年ごとに見直されるリース料では長期収支の見通しが立たないという話になり、つまり、2年後にはどの程度の額のリース料がかかってくるかわからないというのではとてもじゃないけれども経営判断上困ると。従ってこれは固定化しましょうという議論になりまして、結局JR発足3年目に固定化いたしました。
 ところが今度は、固定化してみると、裏に付いています保有機構の借金の割合が決まってくるじゃないかということなので、そうなるとリース料では減価償却費を立てることができず、30年後に保有機構がなくなった後、線路等が疲弊していても、それに対する手当もし得ないじゃないかということで、早くに買取ってしまって、自らが減価償却費を立てることの方が得じゃないということで、リース料を固定化した2年後には保有機構の借金を買取ることにいたしまして、保有機構も解散させてしまったわけであります。そういうようなことをして、今先生のご懸念になった点についての調整が行われ、本州3社のバランスを取ったわけでございます。
 こうした本州3社の収益調整としての大きな枠組みの外に、例えば、私たちJR西日本は、そうした調整をしてもなお、当初、収支が合わないだろうということで、新幹線施設以外の減価償却費を徹底的に少なくしようといたしました。皆さん方もお乗りになったことがあると思いますけれども、0系という新幹線、前がボンネット型の一番古い型でありますけれども、あの車両は非常に製作年次が古く償却が進んでおりまして、当時の国鉄の平均使用年数は大体11年くらいであったと思いますけれども、私たちの会社には償却がほとんど済んだ車両が全部寄せられました。一方、先頭のとんがった100 系という2階建ての新幹線車両があったわけでございますけれども、あれはできたてだったので、元々博多にも配車があったんですけれども、それを持ちますと減価償却費が高くなりますから、改革の前の一晩の間に所属を変えまして、全部JR東海に持っていきました。すなわち、古い車両はJR西日本に寄せ集めて、償却費を調整することによって、JR西日本の収支を合わせたということがございます。しかし、そういった古い車でありますから、すぐに車両を買替えなければいけないという意味では当社は非常につらい思いをいたしました。
 もともと運輸省も含めたお役所は単年度主義ですから、自分が関与した時さえよければいいわけですから、うまい格好でスタートさせた後は「あとは野となれ山となれ」です。正直、こちらは大変つらい思いをしたわけです。多分、分割民営化する時点でもうちょっと議論されていれば、「こうしてくれ、ああしてくれ」ということが言えたと思いますけれども、そういう議論は一切させてもらなかったという意味では、スタート後にいろんな問題が生じたということは先ほど申し上げたつもりであります。

○吉野教授 最初にシナリオが見えなかったにもかかわらず、その後民営化がうまくいきましたのは、事業の新展開とか、いろんな要因があると思うんですけれども、それが第1番目です。
 2番目は、今、分割された四国とか北海道は、これからも相当大変な時期があるんではないかと思うんですが、そういう地域を今後どういうふうにされていくか。
 最後は技術開発の面なんですが、ドイツとかフランスとか日本というのは、海外のいろいろな鉄道事業で競争していると思うんですが、台湾には日本の技術が言ったと聞いておりますけれども、そういう技術開発も民営化後、うまくなされていらっしゃるのかどうか。その3点をお願いいたします。

○井手相談役 一番最初は何でしたか。

○吉野教授 一番最初は、シナリオがなかったにもかかわらずうまくいった一番の原因です。

○井手相談役 シナリオがなかったと言っても「あのままではだめだ」ということはわかっておりましたから、そうなると、ここから何とか脱皮をしなければいけないという意欲が湧いてきて、それが結果的にはいい方に作用したということに尽きるんだと思います。
 もっとも国鉄改革は、先に述べた通り、今日の国の構造改革の目的に見られる規制緩和、地方主権があったということも大きな要因でございました。例えば私たちの会社で言いますと、京都から神戸までは複々線という4線の線路があるわけです。国鉄時代は、内側2線はいわゆるゲタ電と言っている通勤などに使う普通電車が走る線路で、外側2線が貨物列車や特急電車が走る線路でありました。つまり、外側線というのは本社が全国ネット網のために使う線路だということで、東京の丸ノ内1丁目にあります国鉄本社の許可を得ない限りは、その線路は使ってはいけないことになっておりました。大阪でもっと通勤輸送の利便性を高め収入を上げようと思っても、外側線を使うわけにはいかなかったわけです。ところが会社を分けますと、それはもうなくなって、自由に使ってよろしいとなりましたから、現在は外側線には新快速が走って、内側線を各停電車が走っており、地域のお客様に好評を得ております。もっともJR全体のネットワークを構成している特急や貨物列車の運行については最優先で配慮していることは当然であります。当時の国鉄の本社の考え方は、近畿における通勤輸送、都市圏輸送というのは、東京から博多に行く長距離輸送の区間の一部利用であるという前提でありましたから、せっかくあれだけの人口がありながら使ってはだめだったのです。したがって、私たちが当初スタートしたときの私たちの会社の収益構造を見ますと、そのうちの28%が通勤、通学輸送すなわち都市圏輸送でございました。しかし今日それが36%まで伸びているということは、200 円とか300 円とかの近距離のお客様が積み重なって29%が36%まで伸びたということですから、いかにお客様の数が増えたかということがお分かりいただけると思います。そういう外側線を使うといったようなことが規制緩和あるいは地方主権によってできたということです。勿論、基本的には職員の意欲があったわけであります。
 2番目に3島問題でありますけれども、これについて大変手厚いことをいたしまして、経営安定基金というのを設けまして、現在、3島会社についてはいわゆる国鉄時に累積いたしました長期債務は一銭も持っておりません。それといってか当時累積していた国鉄借金に3島基金を積み増しし、JR本州3社そして国民負担としたわけでございます。当初基金の利回りが7.33%という前提の中で収支が合うようになっていましたので、最近の低金利時代、非常に3島は困っております。今日御承知のとおり、3%強で資金を回しただけでもうまいと言われるわけでありますから、7.33%などでは回せませんので、そういう意味では苦しゅうございますけれども、私たちみたいに借金を持っているわけではありませんので、ご質問のように決して3島を見捨てているわけではございません。また、スタートの段階ではJR東日本の職員も、JR北海道の職員もJR九州の職員も、お給料は全く一緒だったわけでありますけれども、地場の労働条件にすべきということで、この18年間でその差が大体10%以上ついたと思いますけれども、結果として人件費が下がったという意味では、私は3島問題というのは、そんなに気の毒な話ではないと思います。3島はもともと鉄道に依存する度合が少なく、今後もお客様が少なくなるということで鉄道本来の使命がなくなってしまうということが考えられると思いますが、そういう問題はありますけれども、少なくとも、鉄道として使命が残せるような線区があるとすれば、その維持については3島基金で十分いけるものと私は思っておりますし、現実に私たち本州3社は、できるだけ3島の面倒を見ようということで、本州3社が新幹線購入代金を支払っている鉄道・運輸機構において借金を借り変える際には、3島会社の経営安定基金から、市中金利より高いものを、当時の政府からのご指導もあり、借りております。
 市中銀行から借りますと、大体2%前後の金利で借りられるわけですけれども、今日3.73 %の金利で経営安定基金からお金を借りて、3島会社を助けているという現状がございます。いずれにいたしましても、決して3島は問題があると私は思っておりませんし、将来も鉄道としての使命がなくなるというか、大量交通機関としての使命がなくなった段階では、線路を廃止することはあるかもしれませんけれども、現在のところは民間企業として経営していけるという具合に考えているところであります。
 技術研究所につきましては、当時私たちが一番気にいたしましたのは、おっしゃるように技術をどうして進歩させるかということでございました。一番参考になりましたのは電力中央研究所という、日本発送電が9分割された時にどういう理念で研究所を設けたかということでございます。電力中央研究所はございますけれども、今、現実にはほとんど機能しない、こう言って失礼でありますけれども、要するに各電力会社は活用しておりません。それぞれの会社が研究所をお持ちになって、自分たちで自前の技術開発をなさっているということがございます。我々もそういうことを考え、将来そうなるんだったら、技術研究所を分けて、それぞれの会社が持ったらどうかという議論を大分いたしました。しかし結果的には、鉄道技術というのは1社でクローズするのではなくて、これは汎用だし、世界に向かって進めていくためには、みんなで一致協力してやるのがいいじゃないかと。またもし電力中央研究所が失敗したということなら、なぜ失敗したかということをもっと徹底的に分析をして、その上に立ってそれを乗り越えていこうじゃないかという結論に達しました。そして、技術研究所は勿論、独立単体として残すことにしましたけれども、そこにはできるだけ各社から定期的に交流人事をし技術者を送り込み、そういうことによって各社との連携を取ろうということと、収入の約1,000分の3を技術研究所の経費として出すことにしました。例えば私どもの会社がもし1兆円の収入が上がるとすると、1兆円の1,000分の3、30 億のお金は我々が出すということで今出しています。
 しかし、結果は、やはり我々が危惧したように、それぞれの会社がそれぞれ技術開発について言い出したということと、もう一つはリニアモーターの問題が急速に一時燃え上がりまして、この問題に技術研究所が総力を挙げるということになり、総研としての能力のかなりのウェートをそれにかけたことによりまして、東日本の方から「将来成功するかどうかわからないリニアモーターに金をかける必要はないじゃないかと。もっともっと在来線なり既存の新幹線についての技術開発をもっと重点に置くべきじゃないか」という話が出てまいりまして、東日本と東海との間でごたごたがございました。そのことから東日本が新しい技術研究所をつくるということがございましたので、我々が当初危惧したようなことが今出てきているという点はございます。しかし、それでも今でもJRはそれぞれ何とか技術研究所を盛り上げていこうということで、世界に冠たる鉄道の技術研究所として、私は機能していると思います。
 例えばJR東日本さんも新幹線の技術開発を進めておりますが、その重点はスピードを上げたいということで、時速400 キロ、450 キロを目指す開発をしておられます。JR東海さんの方は、16両編成が限度でありますけれども、その中で輸送力を高めて、もっと何ができるかということを考えようというのが彼らの開発の中心であります。私共の会社は勿論スピードも重要ですけれども、私共のところはトンネル区間が多くて、騒音公害問題が非常に強いもので、何とか騒音公害を少なくして、スピードを上げる研究をしようということで、西日本は環境問題、東海さんは輸送力問題、東日本はスピード問題ということで、それぞれ新幹線についての研究テーマが違うわけです。それをトータルとしてコーディネートしてくれるのが総研という位置付けでございます。この成果として今日の500系、  700系が誕生したわけでございます。
 ですから、技術研究所の在り方については、当初から危惧したことが少しはほころびておりますけれども、そんなにひどいほころびではなく、現在も技術の継承はできておりますし、技術の発展は行われているという意味では非常によかったと思っております。

○中城審議官 ほかにいかかでしょうか。

○宇田プリンシパル 簡単に2点なんですけれども、地方線とか地方バスの廃線等々というのがあったかなと思うんですけれども、これがどういうタイミングで、だれが主導的にこれが行われたのかというのが1点。
 それから、2点目は全体の流れの中で国鉄内部の方々が主導をし始めるタイミングというか、先ほど総裁更迭というお話がありましたけれども、周りで枠組みをつくる人たちと、内部で今後進めていく人たちの間で事前のやり取り、どういうタイミングで内部の人たちが主導するようなタイミングがあったのか。その瞬間みたいなものがあったのかどうかという辺りを少し教えていただくとありがたいと思います。

○井手相談役 地方線、地方バスでございますけれども、地方バスにつきましては、これは民間の会社がなさっているようなバスの廃線問題というのと同じレベルでございますし、そういった意味では、当初から地方バスの廃止につきましては、民間でもなさっているケースと同様のルールの下でやってきたわけであります。
 問題点は、JRになりましたから、その地方バスの赤字の相当部分も、それぞれの会社が面倒見て収支が合うようにしてあるんだから、そんな補助金を出すわけにいかないとか、勝手にやめても困るという制約が当初相当ありましたので、約10年間は、これだけお客様が減ったんだから、やめさせてくれというお願いに対し国も地方自治体も民間バス会社がやっているようなことには簡単に許してはくれませんでしたが、約10年経った昨今では、地方の運輸局の方もその種のことは全国の地方バスと変わらないねということでお許しをいただけるようになっていますので、これはあくまでもほかの民間のバス会社と同じような形で我々は改廃が行われているということでございます。
 地方交通線につきましては、これはいろいろな議論があって、地方交通線というのは、1日の輸送密度が8,000 人以上の線区を幹線、4,000 人以上、8,000 人未満の線区を地方交通線というという定義になっており、また、4,000 人未満を特定地方交通線と言って、夫々そのあり方について検討がなされました。当時赤字 83線区という議論についてもしかしたら皆さんも御記憶があるかもしれませんが、これを国においても思い切ってバス転換を図るべきじゃないかという御提案をいただいたわけでありますが、さっき申しましたように、各会社全体の収支として、それら赤字ローカル線の赤を含めてあわせてあるのだから、それは持っていけということでありました。ただ私共の会社で言いますと大社線とか宮津線とか信楽線とか、全部で7線区ございますが、これは当時、国も、この線区については、鉄道として機能を果たし得ないから、これはJRになってからでも廃線にして構わないということをいただいた線区があるんです。そういう線区については、ある程度の地元の御了承をいただいた上で、私たちの会社の責任において廃止をさせていただいたわけでございます。宮津線、信楽線等については第三セクター化いたしましたが、その余のものは廃線いたしました。
 それ以外に当時、国鉄監理委員会、あるいは政府からお認めいただいてない線区で廃止したものに、最近やりました可部線の可部~三段狭間と、美祢線の大嶺から南大嶺というたった1区間だけ盲腸線がございますがこれを廃止いたしました。特に美祢線のケースについて申し上げます。これはもともと南大嶺に海軍の歴青炭の炭鉱がございまして、戦後も大量の石炭が産出されたもので、その線は貨物輸送の線だったんですが、旅客鉄道としてみますと美祢線というのは、地方交通線という範疇で、本来ならやめるべき線だったんですが、そのように貨物の輸送量が非常に多かったもので、幹線系になっていたのです。ところがその後炭鉱がなくなったんですけれども、幹線系であるがゆえに、盲腸線ではありましたし、1日に5往復くらいしか動いていませんし、そのお客様も一日せいぜい合わせて20~30人ということで、やめさせていただいたということがございます。私共は鉄道の使命が終わったものについては、地元の納得を得ながら廃止をするということにしていただくことにしておりますけれども、地方交通線だから廃止をするということは今のところ考えておりませんし、できるだけ合理的な手段を取って全体としては、やはり内部補助を行いながら維持していこうと思っているところでございます。
 2番目のお話は何でしたか。

○宇田プリンシパル 枠組みをつくる人と中の人のことです。

○井手相談役 これは先程申しましたけれども、私たち、昭和56年のいわゆる「後のない計画」をつくりましたメンバーとしては、自民党の出口論もございましたけれども、この改革をやることによって、何とか国鉄というものを維持して、将来もう一花咲かせようという気持ちがあったわけです。しかし、だんだんと内外の抵抗にあいながら推し進めていると、これはどうも先に見通しが立たないことが問題じゃないかと思い出すようになったのが昭和56年の年末と申しましたけれども、昭和57年の3月に自民党に三塚委員会というのができまして、現場で徹底的に見ましょうという格好で、現場を見て回って、こんなひどいのかと、本当にあきれられたわけです。その段階から自民党の中に若手議員の勉強会ができてきて、何とかすべきじゃないかというところに我々呼ばれて行ったのが昭和57年の夏ごろからであります。そのころから我々もこれはどうもこのままで延長線上には国鉄の将来の見通しはないなと本気で思い出しました。つまり、変な話でありますけれども、<参考資料2>で述べました国鉄の延命をはかるべく「後のない計画」をつくったメンバーたち、その計画をご破算にし、国、国民の求める民営分割による国鉄改革に立ち向かったわけです。
 つまりそのメンバーたちがどうもこのままでは先行きがないから、ここは思い切って転換を図る以外にないねということで決心した次第です。我々は、後で改革派と言われたわけですけれども、少数のグループではありましたが、勉強会を昭和57年の秋口から昭和59年にかけてやっておったわけです。その結果があとあと監理委員会の方から要求されました資料となったのであります。我々の勉強会は、決して隠れてやっていたわけではございませんけれども、そのことが結果として内部で密かにやっていると言い出されて、組合も含めて何とか国鉄のこのままの国体を護持するんだという国体護持派と言われておりますけれども、その方々の鋭い批判を浴び、自民党でも出口論を言っているじゃないか、それが、部内の者が何故民営分割を言うのだ、もっと自分達で努力して内部改革をし、出口論での答えを出すべきであって、分割の「ぶ」の字も言ったらだめだということになりました。そして、私は昭和59年8月、私と一緒にいました松田君は12月に、それぞれ地方に左遷されるわけであります。いずれにしても、昭和58年の末から60年にかけては、完全に分割・民営を部内でもってしゃべることはまかりならぬということになりました。しかし、今申しましたように、我々のチームが残っていましたから、監理委員会からの御注文に対し密かに調整し届けるということをいたしておりました。一方、総裁以下、幹部の方々は、そういう若手は絶対会議に入れずに、自分たちだけで勉強会をして、さっき申しましたように昭和60年1月に出す基本方策をおつくりになるわけであります。
 同時に臨調との関係では、公式には、当時秋山チームと言われていましたけれども、経営改善推進チームをつくって、そこの目を通さない限りは絶対に資料を監理委員会に出してはいけないということになりましたから、極めて監理委員会との仲が悪くなり昭和60年の1月、2月は国鉄と政府の間で大変なけんか状態になったわけです。それで昭和60年の6月に総裁が更迭された瞬間に、チームは完全に交替したわけです。

○中城審議官 そろそろ時間でございますので、JRについての御議論はここまでとさせていただきます。芬闡樺k役、御多忙のところありがとうございます。
 また、貴重なお話ありがとうございました。

(JR西日本井手相談役退室、高部NTT副社長入室)

○中城審議官 それでは、続きまして、冒頭に御紹介させていただきましたように、NTTの方からお話をお伺いしたいと思います。
 NTTからは、高部豊彦副社長にお越しいただいております。高部副社長、本日はお忙しいところ御出席いただきまして、どうもありがとうございます。
 高部副社長からお話をいただく前に、私からプロフィールを簡単に御紹介させていただきます。
 高部副社長は、昭和44年に、当時の日本電信電話公社に入社されて以来、総裁室文書課調査役、昭和60年の公社民営化を経て、経営企画本部調査役、広報部担当部長、秘書室担当部長、栃木支社長、マルチメディア推進担当部長などを歴任された後、平成8年に理事に御就任されました。
 このころはいわゆるNTT再編が我が国の電気通信政策における一大課題でございましたが、高部副社長は再編成対策室の担当部長、調整部長、再編成実施準備室長、持株会社移行本部第五部門長の要職にて、NTT再編の実現に御尽力されまして、平成11年の再編後は持株会社にて取締役第五部門長を務められた後、平成14年に現職の代表取締役副社長に御就任されております。
 これより高部副社長から30分程度お話をいただきまして、その後同程度の質疑応答の時間を設けさせていただきたいと存じます。
 なお、本会議におきましては、議論の内容を議事要旨としてとりまとめ、公表する取り扱いとしておりますので、お含み置きいただきたいと思います。
 それでは、高部副社長よろしくお願いいたします。

○高部副社長 ただいま御紹介いただきましたNTTの高部でございます。今日は私どもの民営化とその後の再編成というメインテーマで資料を用意させていただきましたので、資料に沿ってお話をさせていただきたいと思います。
 ページをめくっていただきますと、組織の変遷から、現在の経営戦略等というところまで資料目次が入ってございますが、皆さん方の御関心のところは、民営化と再編成、その後の状況、こういうことだろうと思いますので、その辺にポイントを置いて御説明させていただきたいと思っております。
 1ページの資料を見ていただきますと、私ども国営時代を経まして、1952年から1985年の民営化まで、公社ということでやってまいりました。かつては、御案内のように、電話は申し込んでもなかなかつかないという時代でございましたので、国内につきましては、私ども公社が独占でやるということでやってまいっております。それが資料にございますように、昭和53年、54年ごろになりますと、電話の積滞解消、全国がダイアルで自動即時化という時代を経まして、民営化という話が出てまいったわけでございます。
 昭和60年に民営化をするということでございまして、そのときに合わせまして、当然独占から競争を導入するということで、民営化をいたしたわけでございます。
 その後、NTTデータ、私どものソリューションの会社でございますけれども、これを分社をいたしまして、引き続いて移動体の会社でございます、NTTドコモを分社しております。
 1999年になりまして、再編成ということで、現在私がおりますのは、持株会社ということで、純粋持株会社でございます。そのもとに東日本、西日本、コミュニケーションズという、この3社に再編成をいたしました。
 この際の法律等で書かれておりますのは、下にございますように、公正競争の促進ということと、NTTの国際進出すなわちNTTが国際には進出できないという規制がずっとございましたので、国際キャリアの競争が非常に激しいという時代の要請に沿っていないということがございましたので、1999年に再編成したということでございました。
 民営化以前の公社の時代、私どもは民営化というのを私ども自身は願っておりまして、民営化をしたいということでやったわけでございます。公社制度改革の必要性ということでございますが、これはよく言われているとおりでございますけれども、予算で統制をされていたということで、企業の業績に連動したインセンティブ等の弾力的な対応は難しいということでございます。
 当時三公社ということでやっていたわけでございまして、JRさん、JTさん、この辺で特に給与等につきましても、経営の業績にかかわらず同じという形でやってきたということでございますので、そういう意味では社員としてもインセンティブがなかなか働かないという仕組みであったということでございます。
 それから「投資の制限」と書いてございますけれども、現在は連結決算ということでたくさんの子会社を持っているわけでございますけれども、公社時代には基本的に出資というのは制限があるということでございます。
 資金運用につきましては、すべて国庫預託。
 料金は基本的な料金は、法定制でした。
 なお、民営化の直前でございましたけれども、国の財政が危機に瀕しているということでございましたので、私どもに内部留保があるということで、特別立法で6,800 億円の臨時に納付金を出せということがありました。
 公社から株式会社への切り替えに伴うものというのをこの3ページに書かしていただいておりますけれども、公社法から商法・税法適用ということになりましたので、財務会計制度も見直さなければいけないということもやらしていただきました。
 それから、公労法から労働三法に変わるということで、公社の時は争議行為は違法だということになっていたわけでございますけれども、民営化することによりまして、当然労働三法に変わってストライキ権というものを組合が持つということでございますけれども、その辺のルールを直すということでございます。
 それから、事業法が制定されるということで、競争に入るということでございますので、その辺の見直しをする。
 いろんな組織の見直しということで、従来は、機能別の組織でございましたが、サービス別に直すとか、人事制度を直すとかいうものをいろいろやっています。
 4ページ「再編成」ということでございます。
 基本的に先ほど申し上げましたように、NTTは、現在持株会社ということで、純粋持株会社になってございます。
 連結で見ていただきますと、NTTグループ全体が上に書いてございますけれども、総資産でいきますと、19.4兆、売上高が11兆、社員は20万5,000 、連去q会社が347 ございます。私ども持株会社でございますけれども、持株は売上高が純粋持株会社ということでございますので、2,581 億、これは各子会社からの経営運営費、それから研究開発をここの持株会社でやってございますので、その負担金等でございます。
 社員は研究所の社員が約2,800 名おりますので、スタッフと合わせて3,050 人という状況でございます。
 コミュニケーションズ、データ、ドコモ等々の会社の売上高、社員数等がこういう状況でございます。
 それぞれのところに100 %とか54%と書いてございますのは、持株会社が持っております株式のポーションでございます。
 緑色のところがいわゆる法律上の特殊会社ということになってございます。その規制は右側にあるとおりでございまして、特に東西につきましては、ユニバーサル・サービスということで、電話をあまねく公平にやりなさいということになってございまして、それに対しまして、持株会社もいろんな助言・あっせんをするということであります。
 それから、政府の株式保有義務というのが3分の1以上というのが入ってございます。 外資規制は3分の1未満でございます。。
 東西につきましては、特に西会社につきましては、この再編成した以降、3年間、赤字でございました。そういう意味でこれを何とか黒字化したいということで、昨年度からはお陰様で利益を出すという体質になっているわけでございますが、そのためには相当の合理化をしなければいけないということでやってきました。これにつきましては、後でまた御説明を申します。
 売上げにつきましても、東日本、西日本が2兆円強ということでございますけれども、事業の柱の固定電話が非常に衰退をしてございますので、減収という状況であります。減収の中で何とか利益を増益を生み出すという経営を現在やっているということであります。
 5ページが再編成の移行の準備でございますけれども、持株会社以外の3社に分けていくことが必要でございますので、それぞれの資産、ユーザー等々のものをすべて整理をしていく。
 それから、システムが1社というのを前提につくったシステムでございますので、それも直していくということでございます。
 それから「人員、組織の移行」ということでございますけれども、再編後の組織に対応した移行本部というものをつくりまして、プレ実施をしながら移していくということでございます。
 社員もここにございますように、支店所属の社員というのは、ほとんど動いていないわけでございますけれども、それ以外の社員につきましては、約5万6,000 人くらいの異動とか所属替えをしているということでございます。特に西に本社をつくるということでございましたので、従来はそういう機能を持っていないという状況から、特に東京から相当そちらに社員をシフトさせなきゃいけないということもございますので、そういう人材調整等をやっていく。
 それから、雇用契約を承継させるということで、いわゆる雇用主が変わるということでございますので、本人の同意が当然必要になるので意向を確認するというやり方もしてございます。
 それから、後先になるかもしれませんけれども、ユーザーがどういうふうに推移しているか。これも御案内のとおりでございますけれども、固定電話につきましては、だんだん右肩下がりに少しずつなっていると。
 それから、移動電話・携帯でございますけれども、これが急速に伸びてきた。それからインターネット、これも利用者が急激に伸びているということでございます。
 私も先ほど御紹介していただきましたけれども、こういうインターネットの立ち上げというのもやらしていただきましたけれども、その当時はこれだけ伸びるというのは想定外という状況でございましたし、移動電話の会社を分社したときにも、ここまでの移動電話のユーザーが、固定電話のユーザーを大きく上回るというのは必ずしも想定していなかったということでございます。
 これまで、NTTの料金が高いといろいろな方から言われてきたわけでございますけれども、これはブロードバンドの接続回線の料金ということで見ていただければ、右側の方でございますけれども、これは相当競争が進展してきたということもございまして、日本が現在では世界的に見ても一番安いレベルにあるということだろうと思っています。
 8ページに電話をお使いになったときの通話料でございますけれども、1985年の4月の民営化当時、一番遠いところまでおかけになる場合に3分間で400 円という料金でございましたけれども、現在は80円ということでございます。
 市内につきましては、10円でやってきたわけでございますけれども、それも値下げをして8.5 円、現在はインターネットプロトコルを使いました電話ということで、更に安いというものが入ってォている。専用線も同様な傾向でございます。
 10ページにございますのは、先ほど組織の変遷の話をさせていただきましたけれども、事業法サイドでもいろんな制度の変遷が起きております。1985年に私ども民営化をして自由化をしたということでございますけれども、具体的には1987年になりまして、NCCといわれるニューカマーが、市外の通話に参入したということでございます。これは右側に黄色く書いてございますけれども、当時は長距離の料金が今と比べると非常に高うございまして、そこにクリームスキミング的に参入をするという状況でありました。
 90年になりまして、分割論議というのがいろいろございました。私どもは端的に申し上げて、これには反対であるということで主張させていただいております。
 95年にネットワークをオープン化しますと発表したいうことです。オープン化と言いますのは、設備のいろんなところで私どもの設備を御利用いただく形に変えますよということで、他の事業者との接続点をいろんなところに持つという形のものをやっていこうよということでございます。
 96年になりまして、持株会社の下での再編成し、良いものにしようじゃないかというのを決定をいたしました。それから接続ルールを決めるとか、料金を認可制から届出制へ変えるとか、いろんな制度の変遷がございました。
 2000年になりまして、接続料金に長期増分費用方式を導入するということが決まったわけでございまして、これで大きく私どもの財務は痛んだわけでございますけれども、これが現在の制度になってございます。
 それから、ユニバーサル・サービス基金というのが2002年に導入をされたわけでございますけれども、残念ながら今の基金の仕組みというのは、私どもとしては、適用するという状況にはないということでございます。
 2004年になりまして、更に事業法が改正になりまして、事業区分の廃止というものが行われております。
 11ページを見ていただきますと、「ネットワークのオープン化」ということで、よくアンバンドルと言われているわけでございますけれども、メタル、光のアクセスラインがございまして、いろんなところのポイントで他事業者に接続をさせるという形でございます。図の左側がいわゆる電話の交換機系のところでございます。真ん中が専用線、右側がインターネットの接続系となってございまして、メタルでございますと、一番ユーザーに近い線が局内に入り込んだところから、接続点があるという形でございます。右側にいきまして、DSLモデムとございますが、ADSLというのがこういう形でサービスが開始されているということでございます。
 こういう形でいろんな事業者さんのネットワークや、具体的な設備を持たない形でサービスを提供するという事業者さんが大分増えたわけでございますので、私どもとしては、特に一番現在心配してございますのは、こういうネットワークのコントロールというのは、従来はNTTがすべてコントロールするという形でやってきたわけでございますけれども、今やそういう時代では完全になくなってございます。こういう意味でいろんな事業者間の連携の中で、万一のときの連携をどうするのか。この辺が今後の大きな課題になるのではないかと我々としては認識しています。
 特にアメリカの場合には、9.11のテロ以降、国家的レベルでこのインフラの保護をどうするのかという議論がされておりまして、そういう意味で日本もいろんなサイバーテロの問題もございますし、こういうインフラをどうきちっとしていくかという問題を抱えているという状況でございます。
 12ページを見ていただきますと「経営効率化への取り組み」ということで、従業員を例示にここには取らせていただいておりますけれども、赤い線で示していますのは、連結の売上げ高でございます。私どもピーク時にはここにございますように、33万人くらいの社員を抱えておりました。民営化時は31万4,000 人の社員ということでございましたけれども、現在は連結トータルで見ていただきまして、20万5,000 ということでございます。これは海外の子会社等で買収したものもございますので、そういうところの社員も含めまして、20万5,000 ということでございます。
 民営化時点から比べますと、10万9,000 人の社員の減。売上げは倍以上になっているというのが現在の状況でございます。
 資料の上の方に希望退職と書いてございますけれども、民営化以降、いろんな形で合理化をやってきたわけでございますけれども、私ども約4万1,000 人の希望退職をこの間にやってきたということであります。
 下の方に書いてございますのは、いろんな事業を分社をしてきたという経緯を書いてございます。
 それから、2002年5月のところで構造改革と書かしていただいていますのは、これはまさに固定電話の収入が減ってォて、西がなかなか黒字化できないという状況の中で、いかにして黒字化をするかということで私どもが採った施策でございまして、それは13ページを見ていただきますと、電話からIPへ需要が変わってきたということ。それから先ほど見ていただきましたように、料金が非常に低廉化をしてきたということ。競争が激化して、値下げ競争ということもございますし、それから新しい事業者さんにユーザーを奪われていくという状況の中で、私ども何とか体質を強くしなければいけないということの一方で、収益面で当然努力をするということが1つございます。
 ただし、これもユーザーの取り合いということになりますと、値下げ競争ということになってございますので、必ずしも当初見込んだ以上の成果は出ていないというのが現状でございます。その意味では、費用の方をカットするということを相当やってきたということであります。
 当然、物件費等と書いてございますけれども、これは設備投資も含めまして、相当の削減をした。特に電話系の投資というのは、基本的にやめるという形を取っております。
 それからアウトソーシングということを徹底的に進める。
 支店をまとめてしまうということ。
 人件費を更に縮減するということで、雇用形態を多様化したいということ。
 新規採用も3年間ほどストップするということもやっております。
 14ページがそのアウトソーシングでございますけれども、これは特に東西を中心にしてやったわけでございますけれども、東西の社員、それから既存の子会社へ出向していた社員がいたわけでございますけれども、これをアウトソーシング会社に大きくシフトをさせようということで、約10万人の社員をそちら側に移してございます。地域単位に会社をつくってございまして、これは下の方に書いてございますように、これまで、私どもは全国1社という形で今までやってきましたので、賃金につきまして、基本的に全国均一賃金でやっておりました。都市手当という形で、大都市ではそれだけお金が必要だろうということで若干の上乗せという形で差をつけるようにやってきたわけですけれども、特にこれだけ競争が激しくなりまして、新しいビジネスを取っていかなきゃいけないということになりますと、そういう賃金体系ではとても勝負はできないということで、いわゆる地場賃金に近い形にもっていこうということで、地域ごとに賃金水準を変えるということをやりたいということがございましたので、こういう形で社員をこちらの方へシフトをさせております。
 特に51歳以上の社員につきましては、一旦退職していただきまして、基本給を15%から30%カットするという形で再雇用をしております。これをやりまして、何とか西を黒字化したいということでございます。
 これだけではまだ足らないということでございまして、先ほど申し上げたような希望退職、それからグループ会社へ流動させるということもやっております。これは持株会社の下で各社があるということでございますので、データ会社、ドコモ会社、それ以外の子会社ということで、業容が拡大しているところがあります。そういうところへ東、西の社員をシフトするということを併せてやったということでございます。
 それから、51歳以上の社員の退職再雇用につきましては、このとき限りということではなくて、毎年度こういう道を選択していただくということをやっております。
 15ページは人事・賃金制度の変遷を書かしていただいています。今、お話ししましたのが、一番ドラスティックでございますけれども、よく成果業績型と言われてございますけれども、私どもも社員のやる気ということからしましても、従来のような能力と年功の折衷型という形では必ずしもうまく回らないんではないか。ただし、私どもはやはり長期雇用を前提にと考えてございますので、全部を成果業績でやるということではなくて、ある一定の割合で年功的要素は入っています。月例給のうち約4分の1が年功的要素です。それ以外は基本的には成果業績を反映して変動するという形にしております。
 ボーナスにつきましても、当然個人評価ということをやっておるということでございます。これは一番業績評価の良い人達と一番悪い人達となりますと、5割くらい違うということもあり得べし。標準的な評価と一番評価の良い人達ということで考えますと、25%くらい違うという体系になってございます。
 年金の問題もございますので、私どもも厚生年金基金の代行返上というのをやらしていただいていますし、税制適格年金でやってきた部分がございます。これは退職金の一部を年金型にしたわけでございますけれども、これもキャッシュバランスという形で今、踏み込んでやってございます。
 この辺も現役についてはすべて終わったわけでございますけれども、OB分についてどうするかというのサ在やっている最中でございます。
 16ページはマーケットの話、先ほどもいろいろ申し上げましたので、特にこれは御説明の必要はないかと思います。
 私ども3か年ごとに計画をつくって、取り組んできているわけでございまして、現在は政府の保有株が5割を切ってございますので、一般の株主さんが多いということで、機関投資家等からも将来の見込みというのを大分言われてございますので、そういう意味で将来はこういう姿を我々は目指しているということをいろいろアナウンスしながらやっているということでございます。
 18ページは蛇足かもしれませんけれども、民営化後のNTT株の売却・配当及び租税負担ということでございまして、総額はここにございますように、国庫には21兆円ほどのお金を納めさせていただいているということでございます。民営化前は法人税、住民税、事業税、これは私ども非課税ということでやらしていただいたわけです。固定資産税につきましては、2分の1軽減ということでやっていたわけでございますけれども、85年度以降はこういう形で変わっています。
 公社時代は、先ほど申し上げたように6,800 億の納付金というのを払ってございましたけれども、現在はこういう形でお国に払わせていただいている。
 19ページはNTT株をこれまで政府が売り出しをしてきましたが、現在は図の真ん中にございますように、赤の線でございますけれども、発行済み株式1,574 万のうち722 万が政府保有ということで46.1%のポーションということでございます。
 更に売出しができるのが法律上はあと208 万株あるということでございます。これが3分の1になるということでございまして、特にマーケットから見ますと、政府保有株の放出ということになりますと、需給関係に余りいい影響がないと、機関投資家から常に言われておりまして、私どもは自己株の取得というのを3回ほどやりまして、今年度につきましては、今年の株主総会に更に100 万株の枠取りを付議させていただいているという状況でございます。
 私どもは当然、東証、ニューヨーク、ロンドンに上場しているという状況でございます。外国人株式の保有状況はにここには示してございませんが、16%くらいの外国人の株主の方が保有しているという状況でございます。
 私からは以上でお話を終わらせていただきまして、後は御質問に入っていただければと思います。

○中城審議官 どうも高部副社長ありがとうございました。それでは、今までのお話で御質問、御意見等ございましたら、よろしくお願いいたします。

○翁主席研究員 2つお伺いしたいんですけれども、1つは、99年に持株会社に再編成されまして、もともと意図した効果と、それから結果的に持株会社にして、非常にうまく達成できたという点がございましたら教えていただきたいです。今お伺いした感じでは、持株会社という形態をうまく活用して経営の資源の合理化とか効率化が進んだように思ったんですが、そこを1つお伺いしたい。
 もう一つは、ユニバーサル・サービスの提供義務をお持ちで、2002年に基金ができましたけれども、いろいろな問題を抱えていて、今は活用されていないということでございますか、恐らくコストの算定方式とか、負担事業者の確定の問題とかいろいろ問題を感じておられるのだと思いますが、その辺りについてお考えをお聞かせいただきたいです。

○高部副社長 1点目のお話で、もともと私ども持株会社という形で再編成という枠組みをこれでいこうじゃないかと決めた非常に大きな動機の1つは、実は国際の問題がございました。特に当時電話の世界でございましたけれども、グローバルキャリアが合従連衡と言いますか、提携とか、それが非常に激しゅうございまして、今までの通信の世界というのは、何となくフラッグキャリア的に、ほかの国に出て行って自分たちがやるというイメージが非常に少なかったわけですけれども、今や産業界自体が全世界に拠点網を持って、お互いがそういう形になっている。そうしますと、そういう中で通信のソリューションも含めまして、お役に立つということになりますと、どうしても国際のビジネスの世界に入っていかなくちゃいけないという認識を持っていましたので、私どもとしてはこういう方式でやることによってそういうチャンスがある、こういうことは非常に大事だろうと思っていたというのが1点でございます。
 それから、もう一点は、純粋持株会社という形で研究所を私ども持ったままやったわけでございますけれども、研究開発というのが非常に大事だと。特にこの通信の世界は技術開発のスピートが非常に早うございますし、世界的にも競争していているという中で、これを完全にアメリカのような方式で全く資本関係のない形で分断してしまうということになりますと、多分、研究開発力は相当弱まる。これはアメリカも非常に立派な研究所があったわけでございますけれども、今は残念ながらそういう感じではなくなっている。それに対する危機意識が非常にございました。
 そういうことで先ほどお話しした研究開発負担金という形で各社から費用をいただきながらやっているという形のスキームを我々は取ったわけでございます。そういう意味ではこれは何とか機能しているのではないかと思っております。
 特に翁先生おっしゃるような意味で、意図せざると言っていいのかどうかわかりませんけれども、再編成するときから西はなかなか経営は厳しいなと思っておりました。
 こういう形に組織を分けて、それぞれの会社が自主的に決算をしてきちっと分けてやるということからいきますと、はっきりと黒字か赤字かというのが見えるということになりますと、特に西から見ますと、赤字でずっとやっているということになりますと、当然これは皆さん方よく御案内のとおり、経営者は当然皆さんから責められるということになりますし、当然賞与は出ないということになりますし、社員のところについても、私、五部門長として、人事とか労務と総務とかやっていたわけですけれども、私は就任以来ボーナスをほとんど毎年カットしてきたということでございまして、それくらいはやらざるを得ない。それは赤字だということがはっきり見える。しかも、何年後には黒字にしたい。こういうこともはっきりと我々は目標として掲げてございましたので、それをどうしてもやりたいということがございましたので、そういう意味では多分、おっしゃるような意味でいけば、効率化のスピードというか、それは相当社員の処遇も含めて、先ほど人事制度だとか、退職再雇用の制度とかいろいろやりましたけれども、これもだれかに頼っているというスタイルですと、なかなかできないところがあるわけでございますけれども、やはり自らやらざるを得ないということで、労使ともに気合を合わせてやっていくということだろうと思います。
 もう一つ、非常に大きかったのは、純粋持株会社という形ではございますけれども、資本関係を持っておりましたので、先ほどお話ししましたように社員の流動という意味では、グループの中には伸びるところと伸びないところというのは必ず出てくるわけでございまして、東西は売上げがずっと減ってきているという状況でございますけれども、ドコモとがデータというのは何とか成長分野にあるということになりますと、社員は要るわけでございますから、そういうところでリソースがうまく配分できるという効果も非常に大きかったと思います。
 それから、私どものマインドからいきますと、私ども純粋持株会社ということになりましたので、事業から日欧的には離れているわけです。私ども従来は非常に事業にフォーカスした形で経営をやってきた部分が当然経営陣としてあるわけでございますけれども、純粋持株会社になりますと、直接的に事業を見るという立場とはちょっと違っておりますので、そういう意味でグループ全体の最適解をどうするか。それからリソースの配分、ひいては特に株主さんの対応と言う意味では、一般株主さんは先ほど申し上げたように5割以上いるということになりますと、世の中でよく言われますけれども、株主重視という意味では、どうしてもそちらの方に目を向けながらグループ全体としてどうなのかいう経営を我々としては今しているという状況であります。
 2番目の問題でございますけれども、私ども公社以来、社員にも我々はそういうものを担っているんだと。ユニバーサル・サービスというか、皆さんのお役に立つようなサービスを提供してきている。これを担うためには一生懸命やらなければいけない。これは一面、社員から見ますと、非常に大きな働きがいという側面がございます。仮にこれが完全になくて、いわゆる経済合理性だけで勝負しなさいということになると、本当に今まで育ってきた社員の感覚からいきますと、それだけでいいのかという側面は1つあろうかと思います。
 要するに、どういう目的を与えるかという側面が当然あるわけでございますので、我々はそこも十分意識はしてございます。
 先生御指摘のユニバーサル・ファンドの仕組み、これは残念ながら今はトータルで黒字になっている地域と赤字になっている地域を相殺した後の部分を補填するという仕組みであるわけでございますけれども、私どもから申し上げさせていただきますと、基本的にそれは一種の内部相互補助的な論理になるわけでございまして、私どもが東西に分けまして、東なら東、西なら西がこれを維持していくということになりますと、その会社の中でいろんな事業をやりながら補助をしながらやっていくというのが今の仕組みになっているわけでございまして、一方ではいろんな事業というのがいろんな競争にさらされているという部分がもう一方ではあるわけでございますので、そういう意味では我々としては競争にさらされている部分で余資を得なから、こっち側に注ぎ込むのは非常につらいというのは事実であります。そこはもう少し我々としては制度の見直しというのを御検討いただけないかということでは関係の向きには申し上げているところでございますけれども、これも払う側の問題がございますので、払う方の側から見ますと、まだ東西は黒字なんだから、お前のところはいいんじゃないのという話になりますし、仮に赤字になったら経営責任はどうするかということになりますと、これまたその場合に経営責任は当然経営者側が持つということでございますので、そういう意味では私どもとしては非常にそこはつらい仕組みになっていると思っております。

○伊藤教授 既に今までのお話とダブっているところがあると思うんですけれども、今のお話を伺っていますと、99年の分割、必ずしも当事者としては好まなかった部分もあったろうと思うんですけれども、他方でこれを拝見していますと、特に西日本がそうなのかもしれませんけれども、99年以降、このままでは大変だということで、相当大胆な改革を進めていることも事実でございまして、別のケースだと、分割をすることによって管理限界を超えた組織を調整できるとか、あるいは一元的な運営を回避できるとか、あるいは不効率な部分を改革するインセンティブになるということも言われるし、一般論もそうだったろうと思うんですけれども、仮にこういう形の分割をしなかったとすると、こういう改革が本当にできたのか、あるいはやるエネルギーが出たのかという見方もできると思うんですけれども、その点はいかがでしょうか。

○高部副社長 これは非常に難しいと思うんですけれども、特に私どもこういう形で分けない形でやってきたという形を仮定しますと、多分、インターネットビジネスへの取り組みとか、国際ビジネスへの取り組みだとか、こういう新分野のことを考えてみますと、全体的に見ますと、収入のウェートからいきますと、いわゆるレガシーと言われている電話等の収入ウェートが非常に多うございますから、新しいビジネスというのは、どうしても何が何でもこれをやらないと黒字にならないとか、そういう切迫感というのは、先生おっしゃるように相対的に少なかったんだろうと思います。
 それから、それがこういう形でそれぞれを分社しまして、規模的にはそんなに小さくはないんですけれども、分社したことによって、それぞれの企業が抱えていますいろんな問題を、それぞれなりが自分で解決しなければいけないという形で、ですから、解決のやり方は必ずしも一緒ではないんですけれども、そういう意味で各社は切迫感というものが違ってきているというのは事実だろうと思います。
 結果的に見ますと、競争に打ち勝つ経営体質という意味でいきますと、我々としてはこういう形で再編成したことによって、いろんな合理化をやってきたということが非常に効果があったという側面はございます。
 ただ、実際にお客様とかユーザーの関係で考えたときに、事業会社を分けたことによって、例えばこれはやり方の問題に関わってくるわけでございますけれども、ユーザーから見ますと、請求書が何本も行きますとか、それからこのサービスとこのサービスを会社が違うんだけれども、組み合わせてもらうともっと安くできますねという部分は当然あるわけでございます。これはほかの会社は例えば携帯と固定で電話を組み合わせたサービスとか、そういうものをどんどんやっているわけでございますけれども、私どもの場合には、ドコモ自体もシェアが大きいとか、東西の場合にはアクセスラインを持っているとか、いろんなことがございますので、こういうことについては、行為規制も実はされているわけでございます。
 そういう意味ではユーザーから見ますと、一社の時と比べて不便を感じる部分というのはあるんだろうと思います。そこがなかなか今の段階では払拭されていないというのは事実でありまして、これも将来的にユーザー利便を考えたときに、どこまでの行為規制をするのかという問題、これは独禁法とも当然絡んでこようかと思いますけれども、その辺についてはもう少しユーザー利便というのを考えた形にシフトされれば、私は組織形態としては、別にこういう形でも、資本関係でつながっているので、リソースの配分はできますし。透明度は高いということになりますので、そういう形での御不便をかけることは減らせると思います。
 それから、我々も競争戦略上、又、ユーザーの利便を考えて、そういうことができれば、十分我々としては伍していくという余地はあるのではないかというふうには思っています。これを全部昔のように1社でやっていたらどうなるかという仮定の話と非常に似ているわけでございますけれども、これは1社でやっていたときには、例えばドコモならドコモの今の成長があったのかとか、データの成長があったのか、これはなかなか実は昔に戻ってどうだったのかと言われると、答えるのがなかなか難しいところがございますけれども、私は結果的に見ればこれだけそれぞれの企業が成長してきたということから行けば、グループ連結でトータルで見れば企業価値は相当高まったんではないかと思っています。

○吉野教授 2つほどあるんですけれども、郵政事業の場合も、郵便などをアジアに進出したり、世界でやっていきたいと考えられていらっしゃるんですけれども、国際的に競争の中でNTTさんがどういう御苦労されているか。先ほど費用の7ページのコストを見させていただきますと、相当日本は低くなっておりまして、こういうところを見ると優位になっているような気がいたします。
 2番目は、地域分割の場合に、NTTさんは東日本と西日本と2つになったわけですけれども、これが今ごらんになって最適だったか。JRのようにもう少し細かく分けた方がよかったのかどうか。
 3番目は、JRさんの場合、輸送という1つの業種で、その後の進展というのはなかったような気がするんですが、NTTさんの場合はいろんな事業が出てきたというところがありまして、そういう場合には持株会社で、先ほどおっしゃったようにやられる方がよかったという印象なのかどうか。3点お聞きしたいんです。

○高部副社長 国際につきましては、郵便の世界は私はよく知らないんで分からないんですけれども、通信の世界、各国非常にいわゆる外国資本について、フリーみたいな感じでいろいろイメージがおありになるかもしれませんけれども、残念ながら実態は必ずしもそうではなくて、私どもインターネットの会社をアメリカで買収したときもそうだったんですけれども、きっちりあるんです。これはちゃんと法律条項がございまして、外国資本が入ってくる場合には、チェックリストがちゃんとあって、特にそれはセキュリティー上の問題があって、ここの会社が買収してもいいかどうかという審査をきちんとする。エクソン・フロリオという条項がきちっとあるわけです。
 私どもの場合には先ほどありましたように、3分の1国が株式を持つということになっていますし、イギリスの場合にも貿易法とかいろんな形であり、例えば仮に私どもがイギリスの会社を買収に行くと言ったら、それは多分そう簡単にはいかない話だろうと思っています。
 そういう意味での国際という話ではなくて、いわゆる先ほど申し上げましたように、私どもが考えていますのは、いわゆるユーザーさんのソリューションという意味で、具体的にネットワーク自体、先ほど申し上げたように、ではユーザーさんのネットワークサービスの品質をだれが保証するのかという問題はどうしても出てくるわけでございます。これはネットワークの場合には、エンドからエンドまできちっと、例えばスループットがどれくらいでとか、伝送の損失がどれくらいでというのがきちっとないと、特に大容量のブロードバンドの回線でサービスをしていくということになりますと、そこの責任をだれが持って提供できるのか。
 当然、すべてを我々の社員が現地に行ってやるというわけにはいかないわけでございますけれども、やはりネットワークトータルとして見たときの品質保証というのを、では、我々の会社がやります。具体的には私どもはコミュニケーションズという会社にやらせているわけですけれども、そういうサービスを提供していくということからいきますと、やはり国際への進出というのは非常に大事だと思っています。
 それからマネージメントという面でいきますと、特に外国の通信のビジネスを買収してやるというのは、私どもこの再編成以後、始めてアメリカのインターネット会社でやったわけでございまして、これはなかなか大変なことだなというのは実感であります。これは正直申し上げて、欧米人を使ってマネージメントするというのはなかなか一筋縄ではいかないという実感を持って今やっております。
 ドコモの場合にもいろんな会社に投資をして、新しいどこでも使える規格がお互いにあるというのは非常に大事だということで投資をしてきたわけでございますけれども、投資先が買収されたり、そういう意味では非常に動きが激しい部分もございまして、必投資をしたことの成果という意味では、金額的には必ずしもあれでございますけれども、規格という意味では、世界的な通信という特性だろうと思いますけれども、どこへ持って行っても携帯電話が使えるようなものとか、そういうものを我々としては目指していかなければいけないだろうと。これは特にこの通信の世界ではそういう形で動いているということでございます。
 それから、分割の数の話がございましたけれども、電話のネットワークというのを前提に会社を分割しました。電話交換機というのが必ず県と県をまたがるところには明確にあったということで、今はインターネットということになりますと、そこは非常に不明確になってしまって、県内なのか県間なのか長距離なのか国際なのかよくわからないというインターネットの世界に入ったわけでございますけれども、これは電話のネットワークをあくまでも前提に分けたわけでございますけれども、私ども東、西と分けたわけです。これを更に細分化するというのはどうなのかという御質問でございますけれども、私はほとんど今の電話の世界をイメージした形で、全く意味がない世界だろうと思っております。
 本当は細分化ではなくて、今、東西等が分かれた形になっていますけれども、本当にインターネットの世界というのを考えたときに、ここのままでいいのかという問題は逆に出てきているという状況下にあるのが実態だろうと思っております。それだけ技術が動いているということだろうと思います。
 もう一つ、新規ビジネスの話がございましたけれども、私ども開発部隊というのを持っているとうことが1つございます。そういう意味で新しいビジネスの種を研究開発でやっているわけでございます。特に持株会社という形になりまして、いわゆる既存の事業につきましては、それぞれの東日本とか西日本とかコミュニケーションズというところが、既存事業の延長線上のビジネスというのは、そこで子会社群を束ねて持たせてありますので、そういうところでやっていくということでございますけれども、新しい分野のビジネスということ。
 例えば私どもの会社もガスさんと一緒になって電力の小売と言いますか、そういうビジネスにも若干入ったりしているわけでございますけれども、そういうものだとか、私ども建築関係の会社ファシリティーズという、これはビルのメンテナンスとか、電力だとか設備だとか、そういうものをやっている会社を持ったり、不動産の都市開発という会社を持ったりしていますけれども、いわゆる通信と直接的に関係のないビジネスの世界というのがあるわけです。そういうところにつきましては、私どもの持株会社が直接経営管理をするというか、見ていく。
 それから、新しいビジネスのネタをつくって、新しくマーケットに出していく。これはNTTレゾナントという会社を去年の冬につくったわけでございますけれども、そういう会社で新しい分野に打って出る。こういうところについては、私ともの持株会社が所掌してやっていくという形で、新しい事業の範囲を少し拡大していく。
 特に固定電話の世界が先ほど申し上げましたように、右肩下がりでずっと来ているということになりますと、連結トータルでの成長をどうやって図っていくのかということが非常に大きな持株会社のミッションということになってございますので、その辺には注力をしているという状況であります。

○中城審議官 ほかにいかがでしょうか。

○宇田プリンシパル 一点だけよろしいですか。
 ユニバーサル・サービス・オブリゲーションのコストの負担の考え方なんですけれども、これは95年に接続をされたときの、ちょっと細かい話になって申し訳ないんですけれども、NTT側の回線というのは、ユニバーサル・サービス・オブリゲーションを課されていくと、NCCの側には課せられていないという中での、接続料の設定のときに、USOの費用負担というのはどういうふうに考えられたのかということを少し教えていただきたい。

○高部副社長 95年のときには、端的に申し上げますと、接続料の値段は、実費、いわゆるコスト回収、これだけのコストがかかっていますから、例えば、これだけの利用がありましたからそれを1コール当たりに割りますとこれだけかかりますねと、これをベースでやっておりました。
 それが、先ほど申し上げましたように、長期増分費用方式ということで、将来の、いわゆる設備につきましても、最新鋭の設備だとか、新しく設備投資をするという前提で設計をしたときに、どれぐらいの費用であるべきか。こういう前提で長期増分費用方式というのが成り立っているわけでございますけれども、それで行きますと、今のいわゆる旧来の設備を使っている部分のコストよりも当然安くなって、これだけコストが、いろいろな私どもの機器のコストがちょっと下がっていますから、安くなるわけでございますから、現実の実費から行きますと、ギャップが出てくるという仕組みでございます。
 ですから、従前の方式ですと、そこで費用回収ができるという構造でありましたけれども、それが新しい方式ではできないということで、ユニバーサル・ファンドという仕組みがその後できたわけでございますけれども、それも先ほど申し上げたような形で、いわゆる儲かっているところと儲かっていないところと相殺した形の後で、赤字が出た部分を、いわゆる補てんのトータル額というふうに考えてやるということでございます。
 当然、そういう意味では、東西会社もその部分の一部のサービスを提供しているんだから負担しなさいニいうことになっているわけですけれども、我々としては、そこの部分についても納得感がないというようなのが現状であります。

○中城審議官 よろしいでしょうか。それでは、時間の都合もございますので、本日の議事はここまでとします。
 本日の会合につきましては、定例どおり後ほど事務局から記者ブリーフを行いますので、お含み置きください。
 高部副社長、本日は御多忙のところ御出席いただきまして、貴重なお話をどうもありがとうございました。

○高部副社長 どうもありがとうございました。よろしくお願いします。

(高部NTT副社長 退室)

○中城審議官 それでは、次回の会合の日程等につきまして事務局から御連絡をいたします。

○利根川参事官 事務局から簡単に御連絡いたします。
 次回でございますけれども、既に御案内のとおり、明後日、6月18日の16時からの開催ということで予定をしております。議題といたしましては、今回に引き続きまして、特殊法人の民営化等に関するヒアリングということで、JTとそれから東京電力からお話を伺うことにしております。
 その後の予定でございますけれども、メンバーの皆様からも御意見をいただいておりますので、そういったものを踏まえまして、今月下旬に関係者からのヒアリングということを考えたいと思っておりまして、また、今月の末には、日本郵政公社の方の決算が正式に発表になりますので、その決算の結果についてもヒアリングをしたいというふうに考えております。これらにつきましては、事務的には日程調整等御連絡させていただいておりまして、御協力いただいておりますが、関係者の方と日程調整等、引き続きやって、また御連絡をいたしたいというふうに思っております。
 また、これも事務的に既に御連絡させていただいておりますけれども、海外調査の件でございますけれども、余り時間的に余裕はないのでございますが、海外の実地調査といったことも企画をしておりまして、現在、関係の部局との調整を今図っているところでございます。
 いろいろと御意見等も伺っておりますので、そういったものも踏まえまして、作業の進展に応じまして、また御連絡をさせていただきたいと思いますので、その節はまた御協力のほどをお願いしたいと思います。
 事務局からは以上でございます。

○中城審議官 何か御質問はございますでしょうか。それでは、本日の会合は以上でございます。本日は、どうもありがとうございました。