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郵政民営化に関する有識者会議第4回会合 議事要旨

日時
平成16年6月18日(金)
16:00~18:04
場所
虎ノ門10森ビル(5階)
郵政民営化に関する有識者会議室

○中城審議官 定刻になりましたので、これより郵政民営化に関する有識者会議の第4回会合を開催いたします。
 本日は皆様お忙しいところをお集まりいただきましてありがとうございます。本日は前回会合にて御案内させていただきましたとおり、特殊法人民営化の先行事例等に関するヒアリングということで、既にお越しいただいておりますJTの方からお話を伺いまして、後ほど東京電力からもお話をお伺いするという予定でございます。
 本日はJTの本田勝彦社長にお越しいただいております。本田社長、本日はお忙しいところをありがとうございました。
 本日は竹中大臣も本田社長のお話をお伺いする予定でございましたが、急な政務ということで出席できなくなりまして失礼をお詫びさせていただきます。また、渡辺室長も公務で外出しておりますが、到着までちょっと時間がかかるということでございますので、途中からお話をお伺いするという形になりますので重ねて恐縮でございます。
 まず、本田社長からお話をいただく前に、私から簡単にプロフィールを御紹介させていただきます。
 本田社長は、昭和40年に当時の日本専売公社に入社されまして、昭和60年に同社は民営化され、日本たばこ産業株式会社、すなわちJTへと組織変更された後、労働課長、経営企画室長、企画部長を歴任されました。平成4年に取締役人事部長として役員に御就任以来、常務取締役として人事労働グループリーダー、専務取締役としてたばこ事業本部長の御要職を務められ、平成10年に代表取締役副社長、平成12年に現職の代表取締役に御就任されております。
 これより本田社長から30分程度お話をいただきまして、その後、同程度の質疑応答の時間を設けたいと思います。
 なお、本会議におきましては、会議終了後にその概要についての記者レクを行い、また更に議論の内容を議事要旨としてとりまとめ公表することとしておりますので、お含みおきいただきたいと思います。
 それでは、本田社長よろしくお願いいたします。

○本田社長 それでは座ったままですが、御紹介いただきました日本たばこの本田でございます。よろしくお願いいたします。
 本日、日本専売公社の民営化についてお話する機会をいただきまして本当にありがとうございます。これからの郵政改革に少しでもお役に立つようなことがあれば誠に幸いだというふうに思っております。
 それでは、私どもの民営化に対する取り組み方とその後の経営活動なり、また課題について早速お話しさせていただきます。
 まず、目次をお開きいただきたいのですが、本日4点をお話させていただきます。1つは民営化の背景と経緯。一般的には、いわゆる第二次臨調、土光臨調を契機にということが言われているわけですけれども、私どもそれまでにかなりその方向へ向けての苦難の歴史が実は20年近くありまして、そこら辺についても、ちょっと御紹介をいたしたいということで、背景と経緯というふうな形にさせていただいております。2つ目が民営化になりまして、株式会社化なり、自由化がありましたけれども、そのスタート時点における経営方針、一言で言えば、株式会社化後の経営基盤の整備ということから入っていったということが2点目でございます。3点目は、一定の基盤整備が終わった後のいわゆる企業としての発展という意味での経営活動。そして最後に、現在取り組んでいる課題というふうなことをお話しさせていただきたいと思います。
 それでは早速始めますけれども、1ページ目、「民営化の背景と経緯」でございますが、今、申し上げましたように、いわゆる第二次臨調がスタートする前にかなり内部でいろんな出来事もありました。そこらをかいつまんでお話ししたいと思いますが、まず、1番目に私どもの会社といいますか、事業主体、経営主体の沿革ということで3つ。1つは明治37年に大蔵省専売局という、この大蔵省専売局というのは、いわゆる、たばこ事業の事業主体であると同時に、行政主体でもあったというふうにお考えいただきたいと思います。明治37年にたばこ専売制度が実施をされました。
 この専売制の実施自体は、いわゆる日露戦争の戦費調達、財政収入の確保というのが大義名分でありました。しかしながら、もう一つ御紹介しておきたいのは、いわゆる産業史的な見方でいきますと、民族資本の防衛ということがありました。実は明治37年直前に、専売直前は日本のたばこ市場の過半を欧米資本に牛耳られていた。この専売制施行前、日本にたばこ会社は数千社あったということであります。しかし、その中で明治開国後、いわゆる、きざみ文化からシガレットに切りかわる。シガレットの中で、そのシガレット市場の過半はアメリカ資本のアメリカン・タバコ、その後BATになりますけれども、その会社が日本の市場のシガレットの6割、7割を占めている。そういうような状況で、たばこ産業というのは、そういう意味で他の産業よりもいち早く国際化し、なおかつ、ものすごい国際競争があった業界であるということを御紹介しておきたいというふうに思います。この欧米資本から民族資本を守るのが専売制移行へのもう一つの目的でありました。長年専売制であったために、そういう産業史的なことがなかなか御理解いただけなかったんですが、今日御紹介しておきます。
 2つ目は、昭和24年に日本専売公社が設立されました。いわゆる公共企業体制度ですけれども、これも実は直接の契機は労働問題に端を発するマッカーサー指令で公共企業体というふうになったわけです。しかし、これもいわゆる経営学的な意味からいきますと、当時、公共企業体論というのが新しく混合経済下における1つの経営形態であり、またこれはアメリカのニューディール政策から出てくるわけですけれども、政府、行政で行っているもののうちで事業に適するようなものは企業体経営でやるべきである。それを行うのは公共企業体という新しいジャンルの形態論があるんじゃないかというのが背景にあります。労働問題が契機だったというのは、いわゆる労働三権、国家公務員というのは基本的労働三権のうちの団結権しかない。しかし、現業というところは事業をやっているわけですから、当然、団体交渉権も与えるべきである。公務員とは違った方がいいんじゃないか。加えて争議権、スト権と、この3権になるわけですけれども、当時、三公社五現業には労働三権のうちの二権、公務員にないものを入れるというのが公社になった直接のきっかけですけれども、そういう意味では、経営形態論というのはあったということは事実であろうというふうに思います。
 ただ、いわゆるマッカーサー指令ですから、内発的に何とかすべきということよりは、押しつけられたようなところがあったものですから、いろんな抵抗もあって、専売公社法自体が行政機能と経営機能が未分化のままでき上がっていったということが言えるのだろうというふうに思います。
 昭和24年、初代の総裁、秋山孝之輔さんという民間からおいでになった方ですけれども、その方がおっしゃったのは、財政収入の確保とか言っても、結局お客様さまに買っていただいて初めてできるんだから、いわゆる財政収入が先じゃないよと、あくまでもたばこは売れてなんぼだということで、当時、秋山総裁が着任しておっしゃったのは「前だれがけ精神」ということだったわけです。4年間やっていただきましたけれども、この間、公務員というところから、公社社員ということになったということで、ある意味では意識改革ということも進んだかと思いますけれども、お辞めになって以後、やはり先ほど申し上げました未分化ということの中から行政優位というような感じになってきて、やや停滞していくという過程を踏んでいった歴史を持っています。
 2番目にあえて「昭和43年長期経営計画」ということを書いていますけれども、これはどういうことかといいますと、これがいわゆる我々の基本的な経営形態なり、事業のあり方についての考え方をまとめたもので、昭和43年ですから臨調を遡ること17年前に既にこういうことで我々は考えを持っていた。そのことが臨調の答申が出たときに、私どもは自ら選択した道であるということを対外的にも言えたし、社員はみんなそういう気持ちになっていたということです。
 昭和43年長期経営計画が具体的にどういう背景でできたかといいますと、ちょうど昭和三十五、六年ぐらいから日本の産業界は長期経営計画ブームであって、当時は係数計画だったんですけれども、それと同時に貿易の自由化、それが更に進んで40年代の初めぐらいから資本の自由化までいくような過程の中で、国際化というのをいち早く、私どもも将来の課題として取り組まなきゃならないということが1つの背景です。その中でたばこというのは大変な国際商品で、国際競争というのは重要ですから、いずれ自由化したときに、ちゃんとたばこ事業をやっていかなければいけないという背景が1つあります。
 当時どちらかといいますと、いわゆる社員の中でも専売制と公社制度でご飯を食っているような感じがありましたけれども、そうじゃないんだ。我々はあくまでもたばこ事業でご飯を食っているんだ。その結果が財政収入確保になるのだという改革運動もせざるを得ない状況にもありました。
 そうしますと何が問題になってくるかというと、やはり経営形態論、いわゆる公社でいいのかどうか。競争しているときに、競争というのは相手とイコールフッティングじゃないといけませんけれども、例えば、予算統制にしてもいろんなものがある。いわゆる、国の予算制度というのは、どソらかと言いますと、消費経済には向きますけれども、生産経済向きではない。我々は事業をやっている。経営形態を直していかなければならない。
 そういうことが背景にあり、ねらいといたしまして、当時は大変に珍しかったんですけれども、理念型の経営計画、長期計画をつくった。そのキャッチフレーズがここに書いてあります「消費者不在から消費者中心へ」というのと、「現状肯定から創造的革新へ」、制度依存型を脱却しようじゃないか。その上でたばこ事業の国際競争力をつけようというのをつくったのは、実は昭和43年、具体的に経営形態論で「自主経営責任体制の確立」と書いてありますけれども、経営責任をまず明確にしようということと、責任を明確にして経営については主体的にやれるようにしていただきたい。そういうふうに公社制度を直していただきたいということが1つと、もう一つは、「近代的労使関係」と書いてありますが、当時は社員の賃金も自分では決められない、労働組合も決められない、経営者も決められない。そういう中で企業経営というのは非常になじみません。経営責任の明確化というのを端的に言いますと、当時、私どもは財政収入の確保という使命を持っていましたけれども、総売上からかかった総経費を差し引いたものはすべて国に納めなさいというのが納付金制度の仕組みである。そうですと、極端な言い方をすれば、一生懸命やってもやらぬでも同じ、そういうことで経営責任をまず明確にすべきだと。
 例えば、昭和43年に値上げが行われています。なぜ値上げするかというのは、増税でするのか、経営がだらしなくてコストアップでするのかがお客さんには明確でないということで、たばこの財政収入はちゃんと税制を入れて、税金が幾らというのをちゃんと決めた上で経営を判断できるようにしていただきたい。そういう意味で消費税制度を導入し、その上で経営活動については、いわゆる企業内でできるように公社制度を直してくださいという考え方を実は昭和43年に出したわけでございます。
 「公社改革の限界」と書いてあります。私もその作業にずっと携わっていましたけれども、やはり国会に法案を出さなきゃならない中で、改革というのは言うは易しで、非常に難しかったことを覚えています。ただし、我々は何とかしなきゃいかんということで働きかけました。結局、公社制度において改革をあきらめた契機が50年のスト権ストだったんです。あれは国鉄労働組合が1週間ぐらいやったんですけれども、結局あのときに労働運動としても成功ではなかったし、一般的に公社というものに対しての世論は非常に悪くなった。公社そのものの改革は無理じゃないかなと、我々改革をしようとした者からすると非常にショックだった。そういうときに、幸いに昭和56年に臨調がスタートをした。チャンスととらえたのが我々の基本的な考え方だったということであります。
 民営化への動き、いわゆる第二次臨調への対応でございますけれども、たまたま昭和55年、56年ぐらいのことを考えてみますと、私どもの事業を取り巻きます状況、ここに3点書かれていますが、1つは、行政改革の流れというのは、"増税なき財政再建"というキャッチフレーズのもとに進み始めた。これは改革しようとする我々にとっては、ある意味では世の中が動き出したということであるし、もう一つは、「欧米各国からの市場開放要請」と書いてありますが、実はたばこにつきましては、昭和53年から日米貿易摩擦問題が生じまして、57年には日米貿易摩擦問題の象徴にまでなった。その都度、例えば関税率を下げるとか、販売店、取扱店を増やすとかいろいろなことをやりましたが、結論的には抜本的改正というのは、やはり専売制度(モノポリー)というものに対するアレルギーといいますか、一般的な概念としてのモノポリーをどうするかという、そこまで行き着かなければいけなかった。しかしそこの中で私どもは、ここに書いてありますように、将来、自由貿易というのは日本の国是であろう。いずれ自由化は必至であるし、我々も競争原理の導入は不可避であるということを考えておった。
 (3)番目の「『専売公社』の経営上の問題点」、これは問題点の顕在化と焦りというふうに言った方がいいと思いますが、先ほど申し上げたような問題をもともと抱えていた。何とかしたいと我々も思っていた。というときに第二次臨調ができて、それで次のページに入りますが、まさに臨調答申が出た、ここに書き忘れたんですけれども、57年に臨調答申が出ています。臨調答申でうたわれているのはいろいろとありますけれども、私どもの専売公社についてのものは、およそ5点ぐらいあるかなと思います。
 1つは、専売公社の基本的な方向は民営化とする。しかし当面、政府が株式を保有する特殊会社で、それまでいろいろと葉たばこ問題等々があるので、民営化すべきだけれども、当面は政府が株式を持つ特殊会社だと。株式会社ということはうたっておりました。2つ目が競争原理を導入するために流通の自由化を図る、市場の自由化を図るべきであるというのが2つ目。3つ目が消費税制度で、当然ですけれども自由化となれば切りかえる以外にないだろう。消費税制度を入れて、まさにこれもイコールフッティングにしようということ。4つ目が労働三法の適用、これは当然だろうと思いますけれども、それもうたわれています。最後に、いわゆる産業集団であります葉たばこ耕作者、小売販売業界への激変緩和を図るべきである。この5点ぐらいが臨調答申であったと思います。
 それに対します私どもの会社、公社側の基本的なとらえ方なり受け止め方というのは、突き詰めれば下に書いてある3点です。
 1つは私どもも市場開放への要請は当然対処しなければならない。自由化は必然であろう。そのことは専売制度の廃止であるということであります。
 2つ目は日本市場というのは、あらゆる商品がそうですけれども、大変な魅力的な市場です。当然、厳しい戦いが待っております。「欧米巨大たばこ企業」と書いていますけれども、後ほど資料で紹介しますが、そういうのと対等に戦える体制は、やはりつくってもらわにゃいかん。それはせんじ詰めれば、我々は公社で挫折したこともありますので、これは普通の株式会社化しかないだろうということで株式会社にしていただきたいと。
 3つ目、これが「80年来の制度に対する責任」と書いていますけれども、1904年に専売制度をしきました。もともとの専売制度というのは、先ほども申し上げましたように、できるだけ財政収入の確保をたくさん図ろうということでいっていますけれども、80年制度が続いていますといろんなことが起こってまいります。その80年間続いた制度が、よかれあしかれ及ぼしてきたことに対する責任は我々にもあると。それについては、やはり激変緩和を図るべきではないかということで、葉たばこ耕作者なり販売店に対する激変緩和が必要であろうというのを私ども運営主体としても申し上げました。と同時に、それを申し上げたもう一つの背景は、我々は何としても専売制度の廃止と株式会社化をぜひ実現したい。そのためにも、これがないとできないという現実的な判断もあったことも事実であります。
 そういう3つの考え方のもとに、一言で申し上げれば、私どもは土光臨調を前向きに受け止めて、民営化に積極的に取り組む方針を決めたわけであります。
 「民営化のプロセス」と書いていますが、一言で申しますと、皆さん御案内のように、当時、国鉄、電電、専売ということが57年は全部うたわれていたんですけれども、私どもの改革がある意味では政治的に一番難しかったのかなと。国鉄さんの場合はどっちかというと、労使関係の問題が中心で、解決は我々より後になりますけれども、私どもの産業というのは取り巻く業界が、1つは葉たばこ耕作者という日本の農業問題を抱えている。もう一つは販売店さん、この販売店さんは当時24万店ありましたけれども、当時の販売店はどちらかといいますと、今のコンビニよりは、いわゆるたばこ屋さんで零細販売店が非常に多かった。この耕作者も販売店さんも80年間制度が続いておりますから、制度で御飯を食べている。これがなくなったら我々はつぶれるという大変な危機感を持っています。これは政治問題化します。
 そういう中で株式会社に持っていくには大変苦労をいたしました。自民党は昭和57年の11月、私、今でも覚えていますけれども、株式会社をあきらめてニュー公社にしよう。公社のままで株式会社と全く同じことにしようと。これはとてもできるはずはないなと思っていたんですけれども、それぐらいに実はもめた案件だったんですけれども、結論的には株式会社になった。ただ、このときの1つの妥協として後ほど述べますけれども、株式会社の特殊会社で本則政府保有割合が2分の1なんです。それに附則で3分の2という、政府が3分の2を持つという附則を入れたというのは、これはまさに今申し上げましたようなことが背景で1つの妥協と申しますか、株式会社をとるためにやむを得ざる判断であったんだろうと思います。
 そういうことを経まして制度改革ですが、制度改革の内容は一言で申し上げますと、ほぼ土光臨調で出た、または、それをちょっと進めたぐらいの感じで成立したのかなというふうに思います。
 この内容の中に2点だけ。2つ目の「商法適用」というのをあえて書いたことを申し上げますと、私どもは株式会社になりましたので商法が適用になります。そのほかに日本たばこ産業株式会社法がありますから、株主総会で株主様から役員であれ、利益処分であれ、決定をいただいた後、大臣認可を受けるとかいろんなことがあって、全く商法と同じことをしながら、そういうことがあるということを知っておいていただきたいなというふうに思います。この政府の株式保有義務、本則2分の1、附則3分の2というのは先ほど申し上げたことであります。
 そういうことを経て、私ども会社になったんですが、3ページ目に入らさせていただきまして、いわゆる昭和60年、会社化初期の経営方針でございますが、会社化になりましたときの私どもの問題意識というのは、下に書いてある2点でございました。
 1つは自由化をされました。形式はできましたが、現実に自由化という問題は、熾烈な競争下での国際競争力を早急に強化しなければならぬというテーマが1つございました。その背景といたしましては、そこにたばこの商品特性、これは国際商品であり非常に競争が激しいですよということ。産業特性、非常に規模メリットが必要な産業ですとか、相手はコングロマリットです。なおかつ競争力の実態、率直に申し上げますと、国内産葉たばこ問題等を抱えてかなり厳しい状況にある。せんじ詰めれば競争力というのは、コスト競争力と品質競争力だと思いますけれども、率直に申し上げて、当時、競合会社の中でコスト競争力は劣位にありました。品質競争力につきましては、率直に申し上げて、昭和43年長計等を境にいろんな意味での技術開発をやっておりましたので、品質競争力においては、私どもはさほど心配はしておりませんし、今でもその成果はあらわれてきているのかなというふうに思います。いずれにしても、国際競争力は早急に強化しなければならない。
 もう一つは、会社ということになったわけですから、長期的、継続的成長のための基盤をできるだけ早くつくり上げなければいけないということであります。その背景は国内たばこ市場の成熟化、いわゆる当時から日本の成年人口のピークというのは大体わかっております。たばこは大人の嗜好品です。どうしても高齢化しますと喫煙本数が減ります。加えて、喫煙と健康問題の関心の高まり等々で喫煙者率も横ばい、ないし下がっていくような状況である。これはとりもなおさず2つとも、喫煙人口の減少、事業規模の縮小であればあるほど、日本市場の競争がものすごく厳しくなるということになります。
 もう一つの事業構造の脆弱性ですけれども、残念ながら、私どもも民営化直前に、昭和59年にJTインターナショナルというのをつくりまして、国際化に踏み出しましたけど、まだまだ非常に脆弱であったということ。加えて、長年専売公社ですから単品産業で事業構造が脆弱であったというようなものを抱えている。ここらを背景にできるだけ早く基盤をつくらにゃいかんという課題があります。
 加えて、発足当時はこの2つだったんですが、すぐ会社化になった途端に、急激な競争上の環境変化が起こりました。
 1つは、昭和60年、御存じのように1985年プラザ合意後、急激な円高が進行いたしました。会社になりました4月のレートは251 円でした。3年後には126 円になる。もう一つは、昭和61年にたばこ税の増税がありました。これも抜き打ち増税でございましたけど、1本1円、1パック大体20円。昭和62年に紙巻きたばこの関税が無税化になりました。これはUSTRの301 条発動というような問題まで引き起こした案件でございますが、これが我々にどうして厳しい条件かと申しますと、すべてが価格政策に直結するわけであります。1本1円の増税のとき、私どもはとてもそれを吸収できませんから20円を値上げしました。輸入品は据え置きました。関税が無税化なったときに、輸入品は値下げをしました。
 例えば、昭和62年「KENT」というたばこがありますが、当時280 円でしたけども、それを220 円に値下げしました。220 円というのは、ちなみに「マイルドセブン」が220 円だったわけです。次の年には、PMさんも、レイノルズさんも200 円ブランドを市場に出してきた。低価格競争のおそれも出てきた。そういう意味で時間的余裕もなく、そういう厳しい競争に入っていったということでございます。
 今申し上げましたようなことを背景に、昭和60年に私どもは、当面5年間を経営の基盤整備、成長へ持っていくための基盤をつくる期間と位置付けをいたしまして、4月に経営の指針を出しました。まさに自由化なり、会社化というものは自ら選んだ道である。今後は顧客満足を第一義にして、いわゆる「手続文化」から「行動文化」へ切りかえていこうじゃないかというのをスローガンにいたして、意識改革を併せて図っていったわけでございます。
 具体的な経営計画はその下の方に書いてありますが、まず経営の基盤整備をしよう。1つの柱は、自由化したんだから国内でまず負けないようにしようというのが1つ、2つ目は我々も外へ打って出よう、3つ目は、会社になって新しい事業もできるようになったから我々もチャレンジしていこう、この3つを掲げて経営計画をつくりました。
 しかし、一言で言えば1番目が最大の眼目。この1番目は、当然、商品開発とか研究開発というものによるトップラインの成長というものも追い求めますけれども、実態は大合理化計画だったということです。
 と申しますのは、会社になった当時の私どもの市場シェアは97.4%。たばこは嗜好品。そうなりますと、あっと言う間に2割、3割、4割のシェアはとられるであろう。そうなっても、ちゃんとやれるような基盤を今のうちにつくろうということで工場の合理化、中間組織の再編成をした。これは端的に申し上げますと、後でちょっと資料で御説明しますが、会社になるとき3万4,000 人社員がおりました。それを3年半で1万人合理化をするという具体的な施策でありました。そのめどを3年ないし4年でつけたということでございます。
 もう一つは葉たばこの問題。会社になるときに過剰在庫、大体たばこづくりというのは、葉たばこを1年間熟成しなきゃならないという大変在庫投資が厳しいものですけれども、1年間熟成するとなりますと、大体標準在庫が20か月前後ですが、当時40か月ぐらいありました。この過剰在庫をどうするかという大問題がありましたけれども、これについても相次ぐ減反政策を打ちまして、ほぼ解決出来るところまで持っていったというのがこの期間であります。
 新規事業の問題をちょっと申し上げますと、当初はとにかくいろんなものを手を出しました。工場も8工場の廃止等を打ち出したものですから、各工場で生き残りをかけて、キノコをつくってみたりいろんなことをした。まだこのときには絞り切れないし、また絞るべきでもないと思ったんですが、そういう活動をすることによって、かなり社員の意識改革が変わりました。いろんなものを始めますと必ずそこには業界があります。そこと対等に闘っていかなきゃならんということになりますと、いろんなことを勉強していくという意味で、初期の5年ぐらいは揺籃期だったと思いますけれども、そのことの効果というのは、そこから利益を云々よりも社員の意識改革に非常につながったのかなと。と同時に、人材の開発にもかなり貢献をしてくれたというふうに見ております。
 次、5ページでございますが、とにかく経営の基盤整備をまずやろうということで進めましたが、それが1988年、昭和63年から平成元年にかけまして、今申し上げましたように1万人規模の大合理化のめども立ちましたし、葉たばこの在庫対策のめどもつきました。そういう意味で一定の基盤整備ができたと我々は判断し、そこで90年以降の成長計画、成長戦略を練ろうということで「JT2000長期経営目標」というのをつくったわけです。と同時に、やはり基盤整備をいたしましたので、この基盤整備を踏まえまして、多くの株主の批判に耐えられるような企業を目指したいということで、上場を指向いたしました。早く上場してくださいということをやっています。
 1つは、たばこを中核とする多角化国際化成長企業への変貌を遂げていこうということをやりましたし、もう一つは、株式の上場を早くやってくださいということであります。株式の上場につきましては、昭和63年以降、政府の方にお願いし、いろいろと対策をとってきましたが、時間がかかりましたけれども、平成6年にやっと実現をいたしました。上場ができました。このときに政府の保有割合は3分の2で、3分の1を出そうとしたんですけれども、残念ながら売れ残って第2次放出が平成8年ということになりまして、平成8年で、すべて政府が持たなきゃならない法律上の限度まで放出されたということになります。
 この事実を踏まえまして、株公開後の経営のあり方というものをどうするかということと、もう一つは、新規事業の話を先ほどしましたけれども、だんだん我々もノウハウの蓄積もできましたし、資金・人材の蓄積もできました。ぼつぼつ新規事業における「選択と集中」を図ろうという政策をこの平成8年に打ち出したわけであります。その経営ビジョンの基本的な考え方ですけれども、キャッシュフロー経営を指向していこう。そして、その経営ビジョンといたしまして、株主、顧客、従業員、社会、この四者に対する責任をバランスよく、しかも高い水準で果たしていこう。これを我々は4Sと呼んでいますけれども、そういうビジョンを立てて、あと「選択と集中」による資源配分を重点化していこう。
 ここで重点分野といたしまして、海外たばこ事業部門、食品事業部門、医薬事業部門、これに重点投資をしていこうということを決めたわけでございます。と同時に、このビジョンをつくりましてから、世の中の変化はスピードといい、規模といい、私どもの予想を超えるものでした。特に国境を越えたビジネスの展開と企業再編がものすごく加速されたということ。しかも日本の場合には、このころ大変な経済不振、しかもグローバル化という中で、政府の方でもグローバル化に対応した商法等の改正の動きもかなり進みました。
 そういうことを踏まえまして、1つは、ここにございますように、株を放出する直後から、更なる放出と我々の経営の自主性、要するにエクイティファイナンスができなかったわけです。このエクイティファイナンス等々資本政策の自由度をぜひとりたいということから、早速会社法の改正へ取り組むということを決めました。と同時に、先ほど申し上げましたように、我々は将来への生き残りをかけまして、過去の蓄積を背景に、主要4事業のフレームワークの強化、構築を決断いたしました。
 過去の蓄積と申しましたけれども、実は会社になりまして、先ほど申し上げました合理化などいろんなことをして、次から述べます買収直前までに8,000 億円ほどの手元流動性を確保することができました。そういう蓄積と、もう一つは、新規事業で人材も国際化もかなり図りました。人材もかなりできた。そういうことを背景に主要事業のフレームワークを確立しようということで、1つは、たばこ事業は平成11年に米国を除くRJRインターナショナルを買収、9,400 億円買収にかかりました。
 医薬事業は平成14年に鳥居薬品を買収いたしまして、今、研究開発主導型でやっていますけれども、将来のいわゆる営業体制強化を目指してここで買収いたしました。食品事業につきましては、平成10年にユニマットコーポレーション、これは飲料の自販機オペレーター会社、日本で一番大きいオペレーター会社ですけれども、それを買収して、飲料の売り場対策。もう一つは、平成11年に旭化成工業の食品事業部門、加工食品部門を買収して、私どもの加工食品部門の大きな柱にしている。
 こういう申し上げたようなことによりまして、たばこも医薬も食品も一応成長のフレームワークができたということで、次のページに入りますが、その段階で私どもは「第二の創業期」というフレーズのもとに、平成12年に新しい中期経営計画をつくったわけでございます。そのときの目指す企業像は、「価値創造ビジネスを多角的に展開するグローバル成長企業を我々は目指すんだ」と。たばこに加えて医薬食品を次代の柱へ持っていこうということ。
 経営理念につきましては、株主、顧客の満足、これは当然のことで、これを踏襲いたします。経営上の中核価値としてはキャッシュフロー生み続ける能力、それを成長させていこうというのを中心に据えております。
 今申し上げましたこれを実現するための達成に向けた取り組みといたしましては、まず1番目が経営システムの革新によるコーポレートガバナンスの強化でありました。これも2つあります。1つは、高品質かつ迅速、柔軟な意思決定とそれに基づく事業運営ということと、もう一つは経営の透明性なり信頼性の確保をどう図っていくかということがあるわけですが、まず高品質云々の方につきましては、全社経営意思決定機能の強化を図りました。取締役会の機能を明確にいたしました。全社経営戦略機能の策定と業務執行監督機能というものに純化していく。そのために取締役会のスリム化も図りました。一番多かったときの取締役、役員の数は31名ですけれども、現在は8名であります。と同時に、やはり外部の、これは社外重役の問題等々いろんな問題がございますけれども、私どもの選択いたしましたのは、外部の方をお迎えしてアドバイザリーコミッティというものの設置をいたしました。現在の委員は5名おられます。これもいわゆる全社経営機能の強化という立場と監督機能、今のメンバーをご紹介いたしますと、京セラの稲盛さん、機関投資家代表でニッセイの伊藤助成さん、いわゆるグローバル展開等々いろんなことを考えて、前中国大使の谷野さん、今はファッションビジネススクールの学長の尾原蓉子さん、これは旭化成におられて商品開発をやって、今そちらの学長をやっています。京大の佐和先生。バランスも考え、四半期に一遍ずつ半日以上議論をしていただいています。大変いい意見をいただいておるところであります。
 業務執行の機能の強化としては、執行役員制度を導入いたしまして、部門責任者へ権限委譲をいたすとともに責任を明確にして、当然のことながら成果主義も導入いたしております。そしてまた、今グループ全体で発展を目指しておりますので、連結ベースでの経営管理、グループ管理、コンプライアンス等あらゆるものを今グループ管理でやっています。
 経営の透明性、信頼性の関係では、コンプライアンス経営というのが1つございますけれども、これもいち早く取り組みまして、コンプライアンスの行動指針をつくり、また、グループ全体での価値観なり、倫理観を共有するということとその推進体制、これもグループベースでつくっていますが、本体のJTでは、コンプライアンス委員会というのを取締役会に直結する。社長に直結じゃなくて会長に直結させています。それで、これも外部の方に参加いただいています。検事出身の弁護士さん等々入っていただきまして、これは毎月やっております。そういう意味では、これもかなり積極的に取り組んでいると思います。
 あと企業情報の積極的開示のアカウンタビリティーの問題ですが、当然、法律に基づく開示は当たり前ですけれども、適時開示もやっていますし、マスメディアにも適時にリリースもやっていますし、アナリストミーティングなり決算説明会もやっています。私も年に2回海外にも出かけております。
 もう一つは経営体質の抜本的強化、これは当然ですけれども、我々はトップラインを成長させることと事業構造を強化していく。これは永遠の課題であるし、今一生懸命取り組んでいるところでございます。
 もう一つは「選択と集中」。我々は会社化後いろんな事業をやってまいりました。印刷事業だとか、アグリ事業だとか様々な不動産事業をいろいろとやってまいりましたけれども、各々の事業において自立化を展望し、それができないものは抜本的改革、撤退も含めて決断をしていくということで、かなり撤退も実施をいたしております。後ほどちょっと説明します。
 こういう社内の経営活動に加えまして、先ほど申し上げましたように、一層の経営自由度の確保のために更なる株式の放出ということに向けても、平成8年度以降取り組んでまいりまして、やっと一昨年、14年の4月にJT法の改正ができました。中身は、政府の保有割合を本則は2分の1だったのを100 万株という定数にいたしました。なおかつ、私どもがエクイティで100 万株までできるということに直していただきました。そうしますと、私どもが仮に限度いっぱいエクイティをやりますと、政府の保有割合が3分の1ということになるという改正です。それに基づきまして、先週の金曜日に放出が終わりました。約29万株を政府は出されました。政府は限度いっぱい出したということ。
 もう一つは、ちょっと上に書いてありますけれども、私ども実は昨年、大変難しい環境下だったんですけれども、自社株買いも実施をいたしました。この自社株買いを行いましたのは、いわゆる経営の選択肢を拡大しておきたい。100 %子会社化だとか、株式交換だとかいろんなことがありますので、選択肢拡大ということでそれもやらせていただいております。
 今後の課題ですけれども、今まで縷々説明しましたけれども、私どもは、いわゆる市場原理の下で上場企業としての責任を果たしながら、企業としての自律的・継続的な発展を目指してまいったわけでございます。したがいまして、この方向性の求める当然の帰結といたしまして、今後の経営課題というのは、株式の全面放出と完全民営化であると私どもは考えているところでございます。
 ちょっと話が長くなりましたけれども、以上でこの2年間の経営方針等を説明しました。参考資料を簡単に説明して、昨今の話だけさせていただきます。
 1ページ目の業績の推移は、単体と連結を書いていますけれども、今は連結中心で考えております。平成15年度、昨年度の実績を参考1ということで書いてございますが、総売上高4兆6,251 億円。営業利益、経常利益、ここに書いてあるとおりで、結論から申しますと、おかげさまで平成14年、15年ともに2年連続過去最高益を更新中であります。ただし、当期利益は76億の赤となっていますが、これは、実は共済年金負担1,850億円を一括計上処理いたしました。これまでは支払いベースでやったんですが、今回の一括計上は全くキャッシュフローには関係ありません。後ほどちょっと出てきますが、キャッシュフローは約1,000 億ほど増加しています。そういう意味で一応当期利益はこういうことでございますけれども、営業の実態である営業利益、経常利益は順調にきておるということでございます。
 連結と申しましたけれども、子会社が大体200 社ぐらいありまして、連結対象が188 社、うち海外が111 社ということになっております。株主の状況、これもやや特徴的なことを申し上げますと、外国法人のところを見ていただきますと、流動株のうちの36.17 %は外国人株主で、これはかなり高い水準であろうというふうに思います。
 次の商品特性、産業特性等は省略します。3ページでございます。今、世界のたばこ企業は、大変な再編期にきております。私どもは、1999年にRJRの海外部門を買収いたしましたけれども、その直前の98年と2003年を書いておりますが、この下にございますように、大変なグローバルベースでの企業再編というのはほぼ終わりつつありますけれども、まだヨーロッパを中心に動きがある。やはりたばこというのは規模メリットが非常に重要になってきます。それとブランドが大事だということで、こういう動きになっているわけであります。
 あと、5ページを御覧いただきたいと思います。5ページ、「合理化の状況」と書いてございますが、先ほど申しましたように、昭和60年4月の社員数が3万4,216 名、これが平成15年は1万6,690 名になっております。ただ、たばこだけで見ますと、1万2,800 人、スタートのときはAほとんど全部がたばこでございます。たばこ事業で言うと、1万3,000 人弱になっている。象徴的に申し上げれば、一番下に、たばこ製造工場とありますけれども、昭和60年4月に35工場ありました。これが現在18になり、17年までに10工場にすることで、今、鋭意合理化を進めております。昨年の3月に3工場、今年の3月に4工場、今年中に8工場の閉鎖を準備をしているところであります。
 労働生産性は、おかげさまでかなり上がってきています。
 なお、参考2に、撤退事例を書いてありますが、ごく最近、印刷事業を凸版印刷さんに譲渡をいたしました。アグリ事業を14年度に撤退いたしました。13年には医療のうちの一般医薬品で撤退をいたして、いわゆる医科向け医薬に集中しているという状況等々、そういうこともやってまいりました。
 次に葉たばこの問題、先ほど申し上げましたけれども、会社化当時に、7万8,000 人耕作者がいらっしゃいました。現在は1万8,000 人になっております。面積が4万8,000 ヘクタールありましたのは、今は2万1,000 ヘクタール。これは日本の農業構造の変化、高齢化、後継者不足等々と、先ほど申し上げました我々の減反政策ということの中で、標準在庫になってきております。ただ、今後ともコストの問題等々かなりの問題を抱えていることは事実であります。
 葉たばこ農業の生産性を御覧いただきますと、60年、10a当たり302 時間が、今や200 時間になっています。1人当たりの耕作面積は、60.8aでございましたが、今は112.7 ということで、1.85倍に規模も拡大してきているということでございます。
 資料は終わりで、あと二、三分いただきまして、最後に、現在どうかということでございますが、本資料の8ページですが、現在、私どもは中計で「JT plan-V 」ということを鋭意推進中でございます。それの全社経営目標は、ここに書いてあるとおり、「JT plan-V 」は、平成15年度から17年度までの計画です。この3か年間で我々は、17年度には連結EBITDA、これはちょっとわかりにくいですけれども、一言で言えば、キャッシュベースの営業利益というふうにお考えいただきたいと思います。それを3,600 億円にします。それの裏付けとなる営業利益は2,300 億。フリーキャッシュフローについては4,500 億以上。フリーキャッシュフローにつきまして、合理化をやりまして、一時的な金もございますので、3か年累計でという計画にしています。ROE については、7%以上目指しますというのを対外的に公表し、それに向けて鋭意取り組んでいるところでございます。
 この目標を私ども実現するために、先ほど申しましたように、製造工場、この3年間で14工場閉鎖とか、営業支店の統合、いろんなことをやりますけれども、グループでもかなりやります。これをやり遂げますと、将来、少々の変化があっても十分乗り越えていける。平成18年以降は、全社を挙げて成長戦略に集中していく。そのためにぜひこれを実現して、またこれを上回る、現在幸いに上回る進捗を示しています。そういうことで今鋭意取り組んでいるところでございます。
 大変話が長くなって申し訳ございませんでした。説明を終わらせていただきます。

○中城審議官 どうもありがとうございました。それでは、ただいまの本田社長のお話をに関しまして、御質問、御意見等ございましたら、よろしくお願いします。

○吉野教授 どうもありがとうございました。幾つかあるんですが、1つは、いろいろな新事業をやられて、うまくいかないときに撤退されるわけですけれども、今後郵政事業なんかも、いろいろと経験になると思うんですが、撤退のタイミングとか、新事業でこれまでたばこでやられていたことと、似たことをやられるといいような感じがするんですが、そういう決定とか、撤退のデシジョンメーキングというのはどういうふうになされていらっしゃるのか。
 2番目は、海外進出の場合に、イトーヨーカ堂の社長に聞いたんですけれども、M&Aで買うことは簡単であると、しかし海外での社長になる人材がいないということをよく聞いたわけですが、海外進出のときに、トップの方というのは、どういう形で発掘されていらっしゃったんでしょうか。
 それから最後は、昔公社であった場合と民間であった場合、コーポレートガバナンスなり、内部組織というのは変わらなくてはいけないと思うんですが、そこがこのようにうまく変わられた理由というのはどういうところだったんでしょうか。その3つをお聞きしたいと思います。

○本田社長 まず事業の撤退なんですけれども、いろんな方法があると思いますけれども、私どもが一番使っているのは、その業界においてどういう状況にあるかということ、まず3か年ぐらいの計画を立てるんですが、その段階段階にマイルストーン、そこに行ったときに、そのマイルストーンをクリアしているかどうか、その判断が1つあります。しかしそれだけでやりますと、芽があるものを先につぶすかもしれませんから、やはり将来の事業動向、これはもちろんコンサルなど、いろんなことを使いますけれども、やはり基本的には、のんべんだらりとやっていくわけにいきませんので、マイルストーン管理をかなり徹底していくというふうに言えると思います。
 あと、M&Aの問題ですけれども、これも率直に申し上げますと、実はRJR、9,400 億かかったわけです。この金額規模というのは日本の経済史上空前なんですが、帰ってきたときに新聞記者の方々に言われました。2点、高すぎるというのと、JTだったんですが、専売公社が経営できるのか、こういうのが実はありました。ただ、私がそのときに申し上げたのは、高いか低いかというのは、その事業実績が評価してくれるんだと思いますし、経営できるかどうかというのは、今日あえて明治時代の話まで申し上げましたけれども、専売公社でありましたけれども、我々はたばこ事業をやっています。このたばこ事業を我々は100 年やっていますよと。そういう中で本業ですからちゃんとやっていけるという自信は私は持っています。買収当時、5年前ですけれども、今年5周年をやりました。ちょっとタイミングが悪くて、タイバーツの危機、ロシアのルーブル危機等々あって、スタートは非常に苦しかったんですけれども、今我々の利益成長で伸びているのはほとんど海外です。先ほどplan-Vと言いましたけれども、その利益成長のほとんどを海外たばこ事業が占める。今約600 億円ぐらいが営業利益ベースになっています。これは1,000 億というようなところまで持っていきます。そのときに、経営をどうするかという問題で、まさにいろんな意見があると思います。社長をすぐ入れ替えなきゃいかんとか、こっち側へ持っていかなきゃいかんとかありますけれども、2つの要因で、我々はたばこ事業については精通していたということ。もう一つは、やはりその企業に合った人材かどうか。今の社長はフランス人です。日本人も80人ほどジュネーブ本社に行っております。社長の次のポストは、私のところの若い青年ですけれども、副社長をやっています。幸いに私ども会社化前に旧JTインターナショナルをつくったとかいろんなことの中で、まだまだ不足していますけれども、人材もある程度あったというようなことで、幸いに今のところはうまくいっているというふうに見ております。
 コーポレートガバナンスの問題ですが、これもやはり昭和60年が切り替えだったという感覚はないんですね。43年ぐらいから考えていました。一方でとにかく云々ということですから、ある意味では、ほかの長い歴史のある民間会社さんよりは、意識改革といいますか、そういうことを使ってやりやすかった面もあったんじゃないかという感じはいたします。
 お答えになったかどうかわかりませんけれども。

○翁主席研究員 新規事業の選択というのは、今、医薬と食品というのが大きな柱になりつつあるというお話でしたけれども、会社はどういう背景でこれらの事業を選んでいったのかということが1つと、現状では連結で見る限りでは、営業利益はまだ医薬と食品はマイナスの状況ですけれども、これはどの段階で、たとえば中期計画の段階で黒字化ということを目指しておられるというお考えなのかということをお聞かせいただきたい。それからあともう一つお伺いしたいのは、会社法の改正で政府出資分を小さくしていくという議論をした段階で、どんな議論があったのか。また、完全民営化をこれから目指していく上でどんな議論があり得るのかというようなことについて、そのときのご経験も踏まえて教えていただきたいと思います。

○本田社長 まず新規事業ですけれども、ただやみくもに会社を買うという戦略はやっていない。我々、たばこ事業をやっています。そのたばこ事業の中で、実はバイオの問題にしましても、食品産業にしましても、商品開発という形でたばこ事業とシナジーがある。そういう技術的シナジーなり、事業のシナジー、そこらを考えて相乗的に企業価値を高めるものは何かというのをまずベースに置いています。と同時に、先ほど重点的に当面、食品と医薬というふうに申し上げましたけれども、1つは、リスクとリターンという問題、もう一つは時間とタイミング、私どもは今、食品につきましては「次期の柱とする」。医薬については「次代の柱」という言い方をしています。食品は昨年度48億、営業利益はまだマイナスですけれども、ほぼ今年で黒転の見込みが立っております。これはplan-Vでは17年にとんとんにしようと思ったんですけれども、1年前倒しになります。食品については17年以降キャッシュフローに貢献する方へ持っていこう。医薬は現在研究開発中心でやっている。薬というのは、大体1品目150 億から200 億かかって、期間が10年から15年と普通言われています。しかも、どんどん製薬業界も再編されている。成功した品目もありますけれども、率直に申し上げて、この3年のうちに黒転ということは見えていません。一日も早く上市して次代の柱に、たばこ事業というものは、特に国内の場合にはかなりなスピードでパイが小さくなっています。そうしますと、医薬の場合にはリスクも高いですけれども、リターンも高い。なおかつ、これまでの成果等々もありますので、そういうことでやっていきたいということであります。
 もう1点の会社法の改正、今後、我々はまた取り組んでいかなきゃいけないんですけれども、前回取り組みましたときも、やや変わってきたと思いますけれども、耕作者の方々はまだ100 %出ることについての不安感を持っておられる。お客さんが買ってくれるかどうかが我々の存立基盤じゃないですかと、かえって出した方が経営もやりやすくなるし、プラスじゃないのと言うんですけれども、まだ政治的な意味でも、実は前回チャレンジはしたんですけれども、全部出すというところまでいきませんでした。しかし、葉たばこ問題等々、負担は持っていますけれども、私はそういう負担は乗り越えられると考えています。我々は商法を適用されているわけですから、商法でやる義務は全部果たしているわけですね。加えてJT法ですから、もう商法だけでいいんじゃないのということで、今やっているわけですけれども、ただ、ほかの会社さん方と違うのは、ざっくばらんな言い方をすると、法律を直さないとできないというところがちょっと、やはりそっちを目指して努力していきたいというふうに思っています。

○奥山会長 1ページの「公社改革の限界」というところでお話いただいたのが、4の(1)背景の(3)とも関係あったと思うんですが、1ページの4の「民営化の動き」の(3)の「『専売公社』の経営上の問題点」、これがいわば公社改革の限界と関連があって、特にスト権ストの問題が公社ではだめだというお話のように承ったんですけれども、JTさんの場合は、最初から公社から民営化という動きが内在的にあったようなお話のようなんですが、この辺、特に公社じゃだめだという感じ方ですね、下でも3つ例が挙がっていますけれども、その中で経営責任不明確とか、予算統制のところを具体的にお話しいただけると腑に落ちるんですけれども。

○本田社長 公社でだめだというふうに考えたのは、スト権ストで、いわゆる公社というものについての国民の理解を得なきゃいかん。公社のままの改革は、恐らく公社という名前自体がもう地に落ちたなと思ったんですけれども、それまでは、我々はあるべき公共企業体を求めた。公共企業体というのは、先ほど申し上げたように、事業経営の立派な経営形態論だったと。その目的に沿って公共企業体にちゃんとすればいいんじゃないですかということで、昭和50年初めぐらいまでは、公社制度を直してください。消費税制度を入れて公社制度を直してください。直すところは、予算統制など企業経営になじむようにしてくださいという活動をずっとやってきたんです。残念ながら、やはりあんまり御理解を得られなかった。そういうときに、実は土光臨調という形になって、ある意味で会社の方向が示されたということになったんですけれども、ただ、私が申し上げたいのは、改革というのはいろいろとありますけれども、そこで働いている人たちが自らやろうという内発的な改革でないと、改革した後の改革スピードも遅くなりますし、下手をすると後戻りするというようなこともあるんだと思うんですね。それが1点と、もう1点は、妙な言い方ですけれども、何で御飯を食べているか、制度で食っているんじゃないんだと。その事業で、我々はたばこです。たばこで食っているのだったら、そのたばこはイコールフッティングの中で闘ってちゃんとやるのかどうか、それが基本であって、それがやれなかったら、だめなわけですから、そこの事業というものに目を向けて、それをどうやっていくか。先ほど公社法の話もしましたけれども、昭和24年の公社設立も、行政機能と経営機能というのは未分化のまま混在していますと、人間というのは弱い面もありますから、ある意味でエクスキューズに使うということはあるんじゃないかなと。それは皆さん立派な人のところはわかりませんけれども、やっぱりそういうところがありますから、ある程度政策判断みたいなものと、事業運営というのは分けて、政策判断というのはごろごろ変わっていくわけですが、その政策判断で御飯が食えると思っていませんし、事業で食っているのだったら、その事業はちゃんと同種事業と対等に闘えるようなしくみにして、そこで市場原理で判断ができるような仕組みをつくることが大事ではないかなと。

○宇田プリンシパル 一、二点ちょっとお尋ねしたいんですけれども、1つは、株式の放出の際に、長計というのを出されているけれども、具体的な成長の絵みたいなものというのがどのぐらいまず必要だと考えられたのか、あるいは有効だったフか、あるいは、そのときに描けていたのかということを1つお尋ねしたいんですね。株式市場の側から見て、たばこはよくわかるのだけれども、成長の側をどのぐらいその当時評価されたか、あるいは皆さんの方からはどういうふうにそれを示そうと思ったのかというのが1つ目です。
 それからもう一つは、全然別な話なんですけれども、先ほどたばこ屋さんという、24万云々というようなところがありましたけれども、これは今どういう形でどうなっていっているのかなということで、何か民営化後、工夫とかそういったようなものは何かあるんでしょうかということです。
 それから最後はちょっと事業的な話になってしまうんですけれども、やはり非常に安定的なキャッシュフローがあるという中で新規事業をやっていくというのは結構難しい話じゃないかなと。そちらのキャッシュが回るということを考えてみると、その事業は、何となく事業全体でうまくポートフォリオみたいなことを考えてしまうと、常にキャッシュを受ける側というのが甘えが残ったり、そういうようなこともあり得るんじゃないかなと。その辺のところはどう御覧になっているのかなということをお尋ねしたいと思います。

○本田社長 一番最初の放出に当たって……。

○宇田プリンシパル これは、先ほど教えていただいたこれを見ていると、株式上場のところというのは、平成6年一部売却で株式上場実現と、それから平成8年ですよね。その後にフレームワークの構築というのは、実は平成11年から10年とか、こういう状況になっていますね。つまり結構後ですよね。そうすると株式上場のときに、たばこ以外の成長のシナリオというのはどのぐらい示せていたのかというか、見えていたのかということを教えていただきたくて、それを伝えないと、上場したときにそれほど評価されないということもよくある話なので、この辺はどうだったのかなということをちょっとお尋ねしたいと思います。

○本田社長 私どもは、先ほど申しましたように、最初のころは、重点施策と言いましたけれども、99年以降、3か年の中期経営計画をつくって、つくるだけでなくて、それを対外的に発表しながらきていまして、このときも、その当時における私どもの経営ビジョンはこうです。こういうことはこうしますとディスクローズしました。ただ、売り出しになりますと、今度は将来予測は言えなくなるんですね。御存じのように、今回もそれで非常に苦労したんですけれども、一応その時点における我々の経営計画なり云々というのはやりました。今回の場合もそうですし、レイノルズの買収のときなんかもそうです。ちなみに、私どもの格付け機関の評価を言いますと、かなり高い、世界のたばこ企業では一番高いんですね。AAマイナス、レイノルズを買収した後も、現在もそうです。そういう評価も実は出していただいていることもありまして、我々もやはり株主さんは非常に大事ですから、できるだけ積極的に開示したい。と同時に、達成責任ということがありますから、そこをよく考えながらやっているというふうにしかお答えできないんですけれども。
 もう一点のたばこ屋さんですけれども、これはいわゆる激変緩和でやっていただくというのは、許可制度でしたけれども、かつては指定制度と言っていたんですけれども、やはりこれはまだ残っております。ただし、規制緩和の動き等々もありまして、現在、当時24万店だったんですけれども、今31万店弱ぐらいに増えております。いわゆる規制があって、非常に困っているというような状況じゃなくて、かなり津々浦々までいっているのかと。最近たばこ販売店の問題については、やや、喫煙と健康問題から、自由化のみではなくて、これは非常に世の中変わったなと思うんですけれども、そういう動きがあります。
 あと、いわゆるたばこのキャッシュフローに今頼っていることも事実でございますけれども、そういう中で医薬なり、食品というものが怠けないかということに煎じ詰めればなると思うんです。私のところは、完全な事業部制みたいな形で毎年私と事業部門の長とが、目標の設定とその評価をちゃんとやっているということで、いずれ将来的な経営形態をどうするかという問題があります。いわゆるカンパニー制でいくのか、持ち株会社でいくのか、分社化するかとかいろいろとありますけれども、今の課題は、一日も早くそういうことがちゃんとできるようにするためのマイルストーンをつくって、それぞれの部門長に頑張ってもらっているという状況です。

○中城審議官 いかがでしょうか。
 それでは、時間の都合もございますので、JTについての議論はここまでとさせていただきます。
 本田社長、本日はお忙しいところありがとうございました。

○本田社長 ありがとうございました。

(本田社長退室)

(築舘副社長入室)

○築舘副社長 東京電力副社長の築舘でございます。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

○中城審議官 それでは、東京電力からお話をお伺いしたいと思います。東京電力から築舘勝利副社長にお越しいただいております。本日はお忙しいところありがとうございます。

○築舘副社長 こちらこそありがとうございます。

○中城審議官 本日、竹中大臣も副社長のお話をお伺いする予定でございましたが、急に政務で出席できませんことをお詫びさせていただきます。
 それでは築舘副社長からお話をいただく前に、私からプロフィールを簡単に御紹介させていただきます。
 築舘副社長は、昭和41年に東京電力株式会社に入社されて以来、企画部広報課の課長、調査課長、企画課長、多摩支店武蔵野支社長、企画部長などを歴任された後、平成11年に取締役原子力本部副本部長に御就任されました。その後平成14年には常務取締役として企画部・経理部担当、新事業推進本部長を務められた後、平成15年に現職の取締役副社長に御就任されまして、経理部・電子通信部を担当されるとともに、新事業推進本部長としても引き続き御活躍されているわけでございます。
 これより築舘副社長から30分程度お話をいただきまして、その後同程度の質疑時間ということで設けさせていただきます。
 なお、本会議におきましての議論の内容は、議事要旨でとりまとめ公表する取扱いとしておりますので、お含みおきいただきたいと思います。
 それでは、築舘副社長よろしくお願いします。

○築舘副社長 それでは、御指示に従いまして30分ほど資料を使いながら御説明をさせていただいた後、御質問をちょうだいしながら意見交換をさせていただければ幸いだと思っております。
 「日本の電気事業制度について」というタイトルで資料を用意させていただきましたが、お話は電気事業はもともと明治の初期に、どちらかといいますと、今流に言えば、ベンチャー的に始まった産業でございまして、各地域にたくさんの電気事業がスタートいたしまして、戦争が始まる少し前のころから、国家管理体制になって、国の統制下に入り、戦後また民間の形態で今日に至っているということで、最初から国の事業としてスタートした郵政事業でありますとか、鉄道とかとは少し違うかもしれませんが、今現在、民間事業として行われている電気事業体制に新たに自由化といいますか、競争化といいましょうか、こういう流れが今取り込まれつつありますので、そのあたりを中心にお話をさせていただきたいと思います。
 それでは、早速でございますが、資料のページをめくっていただきますと4ページ、ページ数は右下の方に表示してございますが、「電気事業の変遷」というところがございます。明治20年前後から始まりまして、今で言いますと、ちょうど通信事業のようにいろいろな方々が電気事業にチャレンジして、1つの町に幾つもの電気事業者があるというようなところからスタートしたと聞いております。そして明治、大正、そして昭和の初期あたりにはものすごい競争状態でありまして、その後5つぐらいのグループに統合されていきました。そんなタイミングのときに徐々に戦争に入っていくということで、国家統制期に入り、昭和26年(1951年) 以降、地域独占事業体制になったということでございます。その辺が5ページから6ページあたりに書いてございます。この辺は本日のメインテーマではないかと思いますので、スキップしたいと思います。
 8ページを御覧いただきたいと思います。今現在、日本の電力はどのような形態で供給されているかということでございますが、後ほど申し上げますように、新しい電力供給事業者も急速に登場しつつありますが、基本的には、この8ページにありますような全国、北海道から沖縄まで10の地域に分かれておりまして、必ずしも線で区切って地域割というものが今は存在しなくてもいいということになりつつありますが、結果として電力のネットワークの形態がこのような地域単位で形成されているというようなこともあり、御覧のようなイメージになっております。各地域にはどのように電力の連系がされているかということが9ページでございます。日本は、先進国の中では特異な国でございまして、国が2つの電気の種類に分かれております。東京以北と言いましょうか、東京、東北、北海道は50ヘルツという電気、1秒間に50回の周波数変動する電気を使っております。中部以西は60ヘルツという、1秒間に60回の周波数変動する、そういう電気を使っておりまして、ここでまず大きく区切りがされることとなります。
 それから、それぞれの地域、西と東も電力会社間の連系ポイントというのは、1点ないし2点ぐらいでありまして、基本的に電力のネットワークというのはそれぞれの地域ごとに形成されているという特徴がございます。
 その下の10ページは、日本の電力需vの特徴ということで、需要の伸びが大変旺盛であったということとか、昼夜間の格差が非常に大きいこと、これは先進国に比べても非常に大きいのですが、そんなことが示されております。ここもスキップいたします。
 次のページの11ページになりますと、国によってエネルギー事情が大変違うということを示しておりまして、左端の日本は、石油の輸入依存度が99.7%、それから全エネルギーの輸入依存度は、原子力を国産エネルギーとしてカウントしましても、80%が輸入エネルギーとなっております。つまり、エネルギーセキュリティ、供給セキュリティというものを常に意識しながら考えていかなければいけない産業セクターだということでございます。
 その下に電源バランスがございますが、これは、電源の種類別の構成比でございます。1975年第1次オイルショック直後あたりですと、石油火力が過半を占めておりました。オイルショックの前は70%ぐらいが石油火力でございましたが、大変な石油ショックの影響を受けまして、過度な石油依存度は非常に脆弱な供給形態になるということで、2002年度あたり、右から2番目の柱ですが、原子力、水力、石炭、LNG、石油とバランスをとった電源にしてきているということです。
 それから、日本の場合には、品質に対する要求度も非常に高いものがございまして、停電という角度から電力の品質というものを見ますと、日本の場合には、世界でも冠たる電気の品質になっております。諸外国が1年間お客さま1件あたり70分前後、あるいはフランスでも45分前後という停電時間になっておりますが、日本の場合には年によっては5分とか、12分とか、東京電力の場合には年間平均しますと3分とか、そういうようなレベルになってきております。これは全需要家を分母にとりますので、ほとんどのお客さまは1年間1回も停電しないというレベルの品質になっております。
 次に料金でございます。14ページでございますが、1980年を100 としますと、電気料金水準が2002年度で74、ガス料金、あるいは電話料金も同じようなレベルで推移してきております。石油価格、あるいはLNGの価格というような要因もあるのですが、電気料金は他の公共料金に比べても、それなりのいいパフォーマンスをたどってきているのではないかと思っております。
 続きまして、徐々に本論に入ってまいりますが、「電力自由化の経緯」でございます。電力自由化というのがどういうことでいつごろから始まったかということでございますが、1995年から始まりました。16ページを見ていただくと、1990年代初頭ぐらいから、規制分野のコストというものに社会的な関心が高まってきて、ちょうどバブルがはじけた直後あたりで公共料金というものももっと下げられるのではないかというような議論が高まってまいりました。17ページを御覧いただきたいと思いますが、地域独占体制の電気事業に対して競争を導入しようということで、まず発電分野に競争を導入するということになりました。日本の電気事業は発電、送電、配電、小売りのところまで、垂直に一貫した体制で運営されてきています。そういう電力会社の経営構造に、この図で言いますと、上の方の赤い枠で囲ってあります卸供給事業者、(IPP:インディペンデント・パワー・プロデューサー)というものを導入したわけでございます。もちろん自家発電というものも以前から電力が使われ始めた明治期以降ありまして、日本の電力供給の10%ぐらいは自家発電で行われておりますので、自家発電との競争関係というものは一貫してあったわけでございますが、新たに卸供給事業者という競争者を導入したということであります。卸供給事業者は、電力会社に電気を卸売るということでございます。
 18ページに特定電気事業者ということが触れられておりますが、余り大きな広がりを見せなかったという経緯もありますので、ここはスキップいたします。
 そして19ページでありますが、第一ステップとして卸発電事業に自由化が導入され、どういう反応が出てきたかということでありますが、電気事業者は1996年度から99年度までの4か年間で666 万kWの電力を入札という形で募集をいたしました。それに対しまして、その募集枠の4倍強の2,839 万kW、大体このボリュウム感で言いますと、原子力でも火力でも、大きな発電機が100 万kWぐらいでございます。ですから666 万kWというのは大きな発電機六、七台分、2,800 万kWというのは、28台とか30台近いというイメージでございます。そして予定よりも少し大きい738 万kWが落札されました。卸発電事業の自由化により、電力10社が1999から2005年度までの6年間で増加させた供給力のうちの約25%に当たる487 万kWがIPPの電源で賄うこととなりました。
 今申し上げましたのが第1ステップの電力自由化でありますが、その後、第2ステップの電力自由化に関する議論が始まります。20ページでございまキが、1997年に「経済構造の変革と創造のための行動計画」というものが閣議決定されまして、電気事業の高コスト構造の是正を経済構造改革の主要課題の1つとして位置付け、国際的に遜色のないコスト水準を目指すということとなりました。そのために「競争」をどう活用すればいいのか議論をするというような流れになったわけでございます。そして97年に当時の通産大臣の諮問機関であります電気事業審議会で議論が始まりました。
 21ページにまいりますと、その審議の結果でございます。99年の1月に小売分野にも競争を導入する。しかしながら、その導入の仕方は、段階的にやっていくという意味で部分的な自由化というものを選択する。一方で、従来の電力会社が公益目的、あるいは効率化達成の双方の側面に主たる担い手となり続けるということを前提として制度設計をする。つまり従来の電力会社の形を残しながら、自由化を導入していくという路線が選択されたわけであります。そして99年の5月にその具体的な内容が決まりました。「主な改正内容」の2つ目でありますが、需要電力量の約3割に当たる特別高圧需要家、電圧で言いますと2万V以上、契約電力で言いますと2,000 kW以上の需要家ということですが、これにより、大きな工場、あるいは大きなビルとか百貨店といった需要家が自由化されることとなりました。
 そういう自由化された分野に進出してくる新しい供給者として特定規模電気事業者(PPS:パワー・プロデューサー・アンド・サプライヤー)という事業概念をつくりました。それを図示しましたのが22ページでございます。これは2000年から実施をされております。先ほど申し上げました卸供給事業者(IPP)については、既に実施されておりますので、黒い字で表示しておりますが、その右隣に特定規模電気事業者(PPS)というものが導入されたわけです。左側のIPPは、従来の電力会社に電気を卸売してしまえば、その先は電力会社の電気になるわけですが、この特定規模電気事業者(PPS)というのは、電力会社の送電網を使ってPPS自身のお客さま、下の方に赤枠で「特別高圧需要家」とありますが、このお客さまに自分のお客さまという形で供給する、ということであります。したがって、間に電力会社の送電網を借りるという、託送というプロセスが入るということであります。
 これまでこの仕組みでやってきたわけでありますが、また次のステップの議論をしようということで、2001年11月に議論が始まりました。その辺が23ページでございます。2003年の2月に電気事業分科会の答申がまとまりまして、電力分野の自由化というのは、「安定供給」、「環境適合性」を十分に踏まえた上で市場原理を活用するという、エネルギー政策基本法というものがあるわけですが、この主旨に則って行うということが確認されました。そのためには、エネルギーセキュリティ、環境負荷の観点から優れた特性を有する原子力発電等長期固定電源の推進、それから確実に電力供給を行う責任ある供給主体として現行の一般電気事業者制度を存続させる。そういう大前提のもとに段階的に自由化範囲を拡大していくということが決まりました。
 ここは実はある意味で日本スタイルの自由化の路線でありまして、諸外国では発電、送電、配電、小売りを横切りに別の事業形態に強制的に企業分割をしている国もあるのですが、冒頭申し上げましたように、日本の場合には、エネルギーセキュリティという問題が避けて通れない宿命があるものですから、そういうことを意識すると、従来の電力会社の形態というものをコアとして残さざるを得ないという選択をしたということであります。
 今、順次その路線で話が進んでおります。そのためにはどうすればいいかということでありますが、25ページに、これからの自由化を更に進めるための基本的なフレームワークが示されております。上の方の赤枠で卸電力取引所と言っておりますが、こういうものをこれからつくることを認めましょうということであります。それから、この卸電力取引所も含めて、日本スタイルの電気事業の競争化というものが公平に、適切に運営され、展開されているということをサポートし、時にはチェックしたり、紛争が起きれば裁定をするというような中立機関をつくりましょうということとなりました。右側の方に赤で囲っております部分です。
 26ページを御覧いただきますと、全国規模の卸電力取引市場の整備ということの準備が進められております。2003年の11月28日には、2つ目の「●」の2行目ですが、日本卸電力取引所というものが法人として既にスタートしております。ここでは、翌日の電力を一日前に売買することを可能にするスポット市場と、例えば1年先、数か月先の電力を売買する先渡し市場というものを整備することとなっております。ただ、余り投機的な動きに走りますと、アメリカで混乱したようなことが起きますので、当面、金融的な取引は排除して、実物取引に限定した形で堅実にスタートしましょうということになっております。
 続きまして、27ページの中立機関の方でございます。電力会社の送配電ネットワークは、みんなが既存の電力会社も、新しく参入してくる供給者もお互いに同じ条件で使う部分になりますので、そのための基本的なルールというものが必要になります。中立機関は、そういうもののルールの策定であるとか、運用のマーケットの状況を監視することとか、紛争が起きた場合に裁定処理を行うといったことを目的としています。つい数か月前でありますが、2004年の2月に電力会社10社を含む33会員が参加して、中立機関(電力系統利用協議会)が設立されております。理事長には大学の先生、それから既存の電力会社、新規参入者、卸電気事業者・自家発設置者等のいろいろな立場の方々の議決権を同じにし、発言権も対等にするということで、この設立の準備自体を既存の電力会社、それから新しく参入してくるPPSの人たち、自家発の人たちが一緒に参加をして、共同でこの準備作業を進めてます。次に小売自由化範囲の拡大スケジュールでありますが、28ページを御覧いただきたいと思います。最初に2万V以上、2,000kW 以上のお客さまの自由化が、これは電力マーケット全体の3分の1ですが、2000年から始まりました。そして今年の4月、つい先々月ですが、500kW 以上の高圧の需要家にまで自由化が拡大されました。来年の4月に50kW以上、ちょっとしたコンビニエンスストアとか、そのぐらいのところまで自由化が拡大されます。電力会社によって若干上下がありますが、東京電力で言いますと、来年の4月には関東地域のマーケット全体の63~64%ぐらいは自由化の段階に入っていきます。残るのは、家庭用の需要と小さな町工場とか、小さな商店とかそのぐらいの状態になってまいります。その辺の何軒ぐらいあるのかというあたりが29ページにお示してございます。
 そして30ページには、小売り自由化後の供給義務とか、料金規制がどうなるのかということが書いてございます。
 まず非自由化対象需要家への供給、つまり簡単に申し上げますと、来年の4月以降も、当面家庭用は自由化の枠から外れて、引き続き規制分野に残りますので、こういうお客さまについては、従来の各地域の電力会社が供給義務を担う。それから、料金の規制も認可制という、今現在の制度で運用する。ただし、料金の値下げについては、基本的にお客さまにいいことでありますから、余り細々した行政的な審査やチェックということは必要ないということで、今現在も実は料金値下げについては届出制となっておりますが、その制度を踏襲していくということでございます。
 一方、60数%の自由化されるお客さまへの供給についてはどう考えていくかということですが、地域の電力会社は供給義務、料金規制からは免除され、自由な条件で供給することが可能になります。ただし、公正取引委員会と経済産業省がつくっております「適正な電力取引についての指針」というものがございまして、既存の電力会社はこれに従って、標準的な料金メニューというものを公表することが望ましいとされており、実質的に義務付け的な運用になっております。ですから、今現在の競争状況というのは、電力会社は標準的な料金のカードを開いて、オープンカードにして競争する、新規参入社は自分のカードは伏せたままで競争できるということで、私どもにとってはなかなかつらい構造での競争になっているのですが、しばらくそういう状況でいくと思います。
 それから、問題の最終保障供給の問題でございますが、要するにどの供給者からも相手にしてもらえないようなお客さま、例えば、極端に料金のお支払いが悪いお客さまなど、そういうお客さまであっても、電気が供給されないということは、いろいろな意味で大変問題でありますので、既存の電力会社が最終保障約款に基づき、その義務を負うということになっております。
 それから31ページは、少し専門的話、細かい話になりますので除きまして、32ページにどのぐらいの新規参入者が登場してきているかということをお示ししてあります。特定規模電気事業者(PPS)が、全国で15事業者があらわれてきております。約433 万kWということで、計画ベースで申し上げますと、2011年までに750 万kWという拡充計画、東京電力の夏の一番暑いときの需要が6,400 万kW前後でありますから、2011年度に全国ベースで見ますと、東京電力の10分の1ぐらいの新規参入者の供給体制が整うかもしれない、そんなような状況でございます。
 33ページでは、他社のことは言及しにくいので、東京電力の場合、どのぐらいのお客さまが新しい電力供給者に離脱しているのかということを申し上げますと、2000年から約4年間で、既に300 件、110 万kWぐらいのお客さまが東京電力から離脱しております。これは当社の売上で言いますと総売上の1%ぐらいであります。しかしながら、一番の競争の主戦場になっております2000kW以上、2万V以上の特別高圧の業務用、いわゆるビル需要という分野で申し上げますと、約4分の1ぐらいのお客さまがシフトしているということで、相当の勢いで新しいお客さまが移っている状況となっております。携帯電話のような流動性の高い需給構造とは違い、電力の場合にはいろいろな設備が伴いますので、お客さまの移動のスピードと言いますのは、急激にというわけにはいかない面もあるのですが、そういう構造の中でかなりのテンポでお客さまが移動していると私どもとしては瞬間風速的に感じております。
 続きまして、35ページでありますが、自由化をどういうふうに考えるのかということでありますが、その基本認識であります。私どもとしては、電力の自由化というのは、効率化ということと、従来、電力会社が主体に達成してまいりました公益的課題というものが両立するということが大変大事なことだろうと思っております。そのためには、36ページにありますように、日本型のモデル、つまり発送配電一貫体制を維持していくということが大事であろうと思います。電力の自由化の場合には、常に発送配電を分離すべきではないか、という議論が起きるのでありますが、その都度、いわゆる垂直統合型の発送配電一貫の事業形態を残す方がいいという結論を得ながら進んできているということであります。議論の中には、競争が活性化すれば、発送配電がバラバラになったとしても、結果として自然調和的にきちんと供給されるのだという御意見の方も常にいらっしゃるのですが、議論を踏まえた路線の選択としては、36ページに示されたような形で進んできております。
 そういう流れの中で37ページですが、私ども一般電気事業者に課せられた責務というのはどういうことなのか。それはエネルギーセキュリティとか、環境保全をしっかり我々が担っていくということ。もちろん2つ目の「◎」でありますが、電力の安定供給の責務を果たしていくというようなこと。それから3つ目には、すべてのお客さまを意識しながら、確実に電力供給を行っていくというユニバーサルサービスを達成するということであります。
 このユニバーサルサービスについてどう考えるかというのが38ページでございます。やはりここは強くこれからも意識していきたいと思います。電力の場合には、本土の他に離島という地域もございまして、九州に行きますと離島というのがたくさんあるんですが、ここは当然のことながら、コストが非常にかかります。一桁違うぐらいのコストがかかることも珍しくありません。そういうところと、本土の供給というものが総括原価主義の下で、今までは同じ料金で供給されてきているのですが、これが完全な競争状態になっていくときに、既存の電力会社に同じような負担を求めることがいいのかどうか。私どもの立場としては、家庭用にまで自由化範囲を広げていくことの是非を2007年度以降に議論するということになっていますので、そのときに、きっちりと詰めていく必要があると思っております。私ども既存の電気事業者としては、このユニバーサルサービスの役割をきちんと果たしていきたいし、料金的にも可能であれば、離島の方だけが非常に高い電気料金を担うということにならないで済む、そういう方向が望ましいのではないかと思っております。これからの課題でございます。
 39ページには、公益的課題達成についての当社の考え方ということがありますが、2つ目の「◎」に中長期的な信頼度確保ということで、発送電の設備形成とか、原子力の推進という、これもまた大きなエネルギー政策の中での1つの課題がございます。なかなか大変な課題ですので、完全な自由化、目先の採算性とか、競争で勝つか負けるかだけのことを求められていきますと、どうしても何十年というタームで考えなければいけないことが経営として取り組みにくいような状況になっていきかねないものですから、今後の自由化の議論の中でこのあたりの丁寧な議論を求めていきたいと思っております。
 40ページにまいりますと、自由化という状況を迎えまして、従来の規制の時代でありますと、経営の努力をして、経営の効率性が発揮され、その果実が出てきますと、迷うことなく、それは料金値下げということで、消費者に還元してまいりました。今後は、競争マーケットの中で経営を進めていくわけですから、経営の努力によってもたらされる成果というものは、お客さま、それから投資家、発電所等立地させていただいている地域、もちろん会社の経営体質の改善、そういうようないろいろな分野でのプロフィットシェアリングというものを考えていくことが許容されていくのではないかということであります。つまり、有利子負債の削減でありますとか、配当でありますとか、もちろん電気料金でありますとか、新しい事業への投資でありますとか、その時々の経営判断でやっていけるようになってきているのではないか。こういう自由度が出てきたという意味では、競争化、自由化というものをプラス評価したいと思っているわけでございます。
 しかしながら、それは競争に負けないで渡り合って勝ち抜いていくことで初めて現実には達成されますので、41ページ、42ページには、従来よりも具体的な経営目標、数値目標を設定しまして、その目標を達成していく、そういうような事業運営をこのところやってきております。
 43ページになりますと、社員を95年には 4万3,500 名ぐらいであったものを今3万8,000 名ぐらいのところまで減らしてきました。更に3万7,000 名台を目指したい。あるいは設備投資で言いますと、95、96年ごろには1兆5,000 億円前後の設備投資レベルでありましたものが、最近ですと、6,000 億円ないし6,000 億円を切るぐらいのレベルになってきています。
 それから、フリーキャッシュフローで言いますと、経営体質の改善というものが競争に打ち勝っていくための急務でございますので、いろいろな努力をしまして、5,000 億ないし6,000 億円ぐらいのフリーキャッシュフローを最近は上げるようになってきております。
 もう一つ、経営努力の成果として45ページには、最近の経常利益のレベル、約3,000 億円前後になっております。フリーキャッシュフローを使いまして、有利子負債をかなりのテンポで減らしてきておりますので、46ページには、株主資本比率が最悪期には10%ぐらいまで96年あたりは落ちこんでいたものが、16%台まで高めてくることができました。当社は、旺盛な関東地域の電力需要の伸びに応えるために、借金に借金を重ねまして、96年の一番多いときには、10兆5,000 億円ぐらいの借金をしておりました。今年で8兆5、6,000億円ぐらいまで減らすことができておりまして、毎年4,000 億円ないし5,000 億円ぐらいの借金の削減を急ぎたいと思っております。そんなスピード感で経営をいたしております。
 急ぎ足になって恐縮でございましたが、いろいろな競争時代を迎えまして、経営体質を少しずつ改善しながら、しかし一方で電気料金の値下げもしてきたということで、昭和55年度あたりから比べますと、約40%、4割の料金値下げをしてきました。もちろん、円高とか、石油価格の低下ということもございます。それから、平成元年あたりからですと、20%前後、約2割の料金値下げをしてきております。この料金水準というのは、新規参入者との競争で大変大事な最も決定的なファクターでございますので、これからも競争者の動向をよく見定めながら料金戦略を考えていきたい、つい先だっての15年度の決算発表のときも、この10月から料金値下げをしたいという会社としてのアナウンスをさせていただいたところであります。
 先生方の御関心のポイントにうまくすり合ったかどうか甚だ心もとないのですが、電気事業の自由化の動向についてお話をするようにということを承りましたので、以上のようなお話をさせていただきました。

○中城審議官 どうも築舘副社長ありがとうございました。
 それでは、今までの話で御質問、御意見等がございましたらよろしくお願いします。

○吉野教授 どうもありがとうございました。3つあるんですが、1つは、電気事業の場合にはいろいろな分野でコンスタントな参入がこれからも続くと思うのですけれども、先ほどのように、ユニバーサルサービスをうまく維持していこうとすると、どうしてもどこかで壁にぶつかると思うのですが、その場合に、先ほどのように離島は値上げするとか、あるいは、そういうことをやるのであれば、政府からその部分に関して補助金をもらうとか、いろいろやり方があると思います。それからあと、離島の場合に風力発電とか、ソーラーエナジーとか、そういうものも出てきているわけですから、そうすると全然発想が違った形で解決できる可能性もあるかと思うのです。それとの関連で2番目は、技術開発というのは、諸外国と比べて、日本の東京電力さん、いろんな電力会社は十分にやられていらっしゃるのかどうか。
 それから、特に蓄電のところが先ほどもちょっと書いてございましたけれども、昼間と夜とか、あるいは夏と冬とか、その部分が一番電力のロスのようなものですけれども、その技術の面で日本は優れていらっしゃるのかどうか。それから新事業へ展開されていくということもおっしゃっていましたけれども、そういう場合に、どういうような分野を考えられていらっしゃるのか。
 それから最後は、先ほどの参入とか何かで海外から入ってくる、いわゆる海外からの参入、競争能力という、参入面ではあるのかどうか、その3つをお聞きしたいと思います。

○築舘副社長 御質問ありがとうございます。
 まず、新規参入者がこれからもコンスタントに入ってくるだろうと思っております。そのときにユニoーサルサービスというのはつらくなるんじゃないか、あるいは特に離島をどうするのかということでありますが、特に離島という状況が顕著なのは、九州電力さんとか、沖縄電力さんです。それ以外の電力会社にとりましては、離島というのは、それほど日本の場合はありません。関東で言いますと、伊豆七島ぐらいでございます。でありますので、基本的には、ほとんどの電力会社はユニバーサルサービスについては、これからもきちんと担っていきたいという、そういう心意気と言うのでしょうか、それは持っているのではないかと思います。そのためには、ユニバーサルサービスを達成することによってコスト的に非常に持ち出しになるというようなことではなくて、コスト条件さえきっちり我々が競争者との間で見劣りのないコストレベルを確保できていれば、通常の事業運営形態でそのユニバーサルサービスの役割を果たしていける。東京電力としても、いわゆる本土という意味での関東地域へのネットワークの形成はほとんど終わっておりますので、そういう意味ではやっていけるのではないかと思います。
 あと、離島で風力というような新しい方式もあるのではないかということで、確かにそこはあり得ますが、風力といいますのは、風が吹いているときは回りますが、風がなければ止まります。風力発電は、大きな電力ネットワークに連系することにより初めて役割を果たせることとなり、風力だけでは自己完結性が非常に弱い発電方式ということがいえます。したがって、離島では、風力があるから離島は大丈夫ということはなかなか難しいと思います。
 2番目の技術開発でございますが、これは各電力会社がそれぞれやってきておりますし、これからもやっていきたいと思っています。電力業界の場合には、電力中央研究所という日本の民間の研究機関としては、有数の規模の研究所も持っており、諸外国と比べても見劣りのしない研究ができるのではないかと思っております。
 それから、日本には非常に優秀な大規模なメーカーさんがおりますので、やっていけるのではないかと思っています。結果として、日本の発電設備の発電効率や送電設備の送電ロスは世界でも有数の高いレベルとなっておりますので、ここを維持したい。
 蓄電でございますが、これは大変大事な御指摘でございまして、日本の場合には、昼夜間の格差が大きいために、いわゆる電力供給設備の利用率がどうしても低くなってしまいます。1年じゅう寒い国とか、1年じゅう暑い国ですと、発電機の利用率を非常に高く設定できるのですが、冷房が普及する前の日本も発電機の利用率は65%とか、あるいは70%近い時代もあったと思いますが、今や50%そこそこ、私どもの場合は55%ぐらいとなっております。それはなぜかと言えば、空調設備が入ってきているからであります。そういうようなことで、電気の需要が落ちたときに、発電能力が余りますので、それを蓄えて使う方法を考えなければということで、ダムを2段につくりまして、夜電気が余っているときに、水をくみ上げまして、昼間それを落として発電するというようなことを各電力会社はやっているのですが、更に需要地に近いところ、まさに需要場所で蓄電をしていただく。電池の開発を私どももやってまいりまして、そういうものを組み合わせたような料金メニューなども今提案しております。従来の鉛を使った電池とは一味も二味も違う新しい電池もできておりますので、今後とも努力したいと思います。
 新しい事業への展開ですが、これは電力需要も1%そこそこしか毎年伸びなくなってきましたので、どうしても発展的に経営を運営していこうとしますと、新しい事業領域を切り開く必要があると考えております。各電力会社も一生懸命、今努力しておりまして、私どもとしては、小規模な分散型電源の御希望のお客さまにはそういうサービスをするとか、さっきの蓄電方式を御希望のお客さまにはそういうことをお勧めするとか、あるいはこれから高齢化時代にもう既に入ってきておりますので、電気を安全にお使いいただくような、生活回りのサービスを切り開いていくとか、それもそのためには、デイケアサービスとか、介護付きの老人ホームとかそんなことまでやっているような状況でありまして、いろいろ幅広く、生活回り、それからエネルギー回り等々、それと私どもの設備形態上、条件を持っております通信事業をやっているところであります。
 最後に、海外から参入でありますが、一時アメリカのエンロン等々のことがございましたけれども、ああいうことが盛り上がった時代には、日本へ入ってくるような具体的なプロジェクトなどもございました。青森県の六ヶ所に発電所をつくって、東京に電気を持ってくるとか、そういうようなこともありましたが、アメリカの方は、自分の国内でいろいろな困難が生じたというようなことで、今現在は海外から日本の電力マーケットに直接的に参入してくると「う動きはほとんどないというふうに状況認識をしております。
 以上でございます。

○中城審議官 そのほかございますでしょうか。

○宇田プリンシパル 簡単に3つあるんですが、料金が86年から下がってこられたことと、この自由化の流れとの関係というのはどういうふうに見ればよろしいのでしょうか。その前からいろいろ自助努力をされてきていることはよくわかるのですけれども、自由化のインパクトというのをどういうふうに見たらいいのかということを教えていただきたいのと、それから、そういう目で見てみると、家庭レベルに自由化が進むということは、どういう意味があるかというか、インパクトがあると考えられているのか。多分ユニバーサルサービス義務のコスト負担というのは、どこかで吸収できているから大丈夫なんだということで、特に家庭のレベルもオープンにしても構わないという見方なのか、それとも、もともと自由化のコストの削減というインパクトがあんまりどっちみちないから、これは家庭まで下げてもいいのかというふうに見るのか、それとも絶対ここは死守すべきものだというふうにお考えなのか、このあたりはどうお考えなのかということですね。
 それから3番目は、サービスレベルが非常に高いと。これは有名な話だと思うんですが、これはプライスに反映はできるものなんでしょうか。例えば、こういう競争の中でですね、こういうことをちょっと教えていただきたいと思います。

○築舘副社長 料金が86年あたりからずっと一貫して下がってきているということについては、1つには、やはり外的な条件といいますか、石油価格の動向、為替レートの動向等もありますし、それからもう一つは、90年の初頭のころから、冒頭のところでちょっと触れさせていただきましたけれども、公共料金といいますか、そういうものに対する社会的な関心が高まってきたという流れがございます。そういう中で私どもしても、それまで努力していなかったということでは決してないのですが、やはり強く料金水準というものを意識して事業運営をしてきたということがございます。とにかく経営努力をして、その効率が上がれば、料金を下げるというパターンがちょうど2000年ぐらいまで、そういう流れであったと思います。
 小売り自由化が始まりました2000年以降、これは競争相手の料金はどのぐらいなのか、実際にどういう条件で新規参入者が参入してきて、我々が負けたり勝ったりということでありますから、競争者も意識しながら、コスト意識を更に強く持ってきているということだろうと思います。
 まとめて申し上げますと、もともと公共料金というものに対する社会的な関心がいろいろな形で持たれておりましたので、それなりに常にコスト、料金のことは意識しながら社会的な我々の事業が支持を受けられるような、そういうパフォーマンスを上げたいと思ってやってきたのは事実だと思います。これから先、更にマーケットの中での自由化の比率が上がってきますので、今後のこととしては、今申し上げましたベース的な意識に加えて、やはり競争者のビヘイビアも更に意識していく必要があるのだろうと思っております。
  2番目の家庭分野の自由化ですが、ここは大変いろいろな意見があるところでありまして、業界内にも、むしろ自由化の流れであるから、全部完全な自由化にして、その代わり企業行動というか、その自由度も完全に自由なところまでいくのが望ましいのではないかという意見から、家庭用というのは、いかにも最終的な供給保障が担保されなければいけないところだから、軽々に自由化に走らない方がいいのではないかという意見まで幅広い意見がございますし、それから、今まで常に電気事業法の改正というものが自由化がワンステップ進むごとにあって、国会の議論にもなるのですが、国会でも、家庭用の自由化については、2007年から議論にするということになっていますが、丁寧な検討をするようにという国会での議論もございましたので、簡単にどちらがいいということはなかなか申し上げにくい感じでございます。
 それから、サービスレベルとコストの関係ですが、今現在の日本の電力の品質を前提とした電気料金になっておりますから、今のサービスレベルを更に上げるということは、国際的な相対比較からいってなかなか難しいと思いますが、大幅に下げて、コストを下げるというような議論でもない限り、料金とサービスレベルの関係というのは、今のはちょうど見合った状態になっているというふうに判断しています。

○中城審議官 ほかにいかがでしょうか。
 それでは、そろそろ予定の時間になりましたので、本日の議事はここまでにさせていただきたいと思います。
 本日の会合につきましては、定例どおり、後ほど事務局から記者ブリーフを行いたいと思いますので、お含みおきください。
 では、築舘副社長、本日は御多忙のところ本魔ノありがとうございました。

○築舘副社長 どうも至らない説明で大変失礼いたしました。

(築舘副社長退室)

○中城審議官 それでは、最後に次回の会合の日程等について事務局からお願いいたします。

○利根川参事官 次回ですけれども、一昨日申し上げましたように、関係者からのヒアリングということで日程調整をしていたところなんですが、6月の下旬というのは、たまたま株主総会のタイミングとバッティングしてしまうもので、ちょっと日程調整に苦慮しておりまして、もうしばらくお待ちいただきたいと思っております。
 それからまた、前回も申し上げましたように、日本郵政公社の決算が発表になりますので、それは7月の上旬にヒアリングをしたいというふうに思っております。これにつきましても、日程調整次第、また御連絡をしたいと思っております。
 それから、この有識者会議の状況につきましては、経済財政諮問会議の方に御報告をいただくということをやっておりまして、1回目と2回目の模様につきましては、去る5月28日の諮問会議で渡辺室長の方から御説明をしたところでございますが、一昨日及び本日の模様につきましては、来週月曜日21日の諮問会議で御報告をさせていただきたいというふうに考えております。
 それからあと、海外の調査の関係でございますけれども、これにつきましては、先生方に御案内を差し上げておりまして、7月の中旬ないし下旬に海外調査を実施すべく、今調整をしております。個別には御連絡させていただきたいと思いますけれども、今そういう状況にあるということで、ひとまず状況報告をさせていただきます。
 以上です。

○中城審議官 何か御質問ございますか、よろしいですか。
 それでは、本日の会合は以上でございます。どうもお忙しいところありがとうございました。